「生きる」と決めた日々。feat.USM

Fall Term Comes at Southern Miss. I Guess I Am Japanese.

【OneListenOneSoul#2】留学の試練と未来への望み—Shuichi Satoさん【後編】

time 2017/04/16

【OneListenOneSoul#2】留学の試練と未来への望み—Shuichi Satoさん【後編】

 

どうも、スミカ(Rick)です。

OneListenOneSoul第2回、
ルイジアナ大学助教授の
Shuichi Satoんへのインタビュー
残りパート・後編です。
更新滞ってしまい申し訳ございませんでした

↓↓前編の記事はコチラから↓↓
【前編】スポーツの「プロアマの境界線」を考える

↓↓中編の記事はコチラから↓↓
【中編】ここがヘンだよ日本スポーツ

前回から話も戻り、
今回の後編記事では
「現在の職場に行きつくまで」の経緯と
彼の人生における岐路に学ぶ
留学生サバイバル術に迫ります。

それでは、どうぞ。

 

 

アスレティックトレーナーから
運動生理学へ。

――Southern Miss(USM)でATを学んだその後の経緯は。

  一回コネチカットに行ってアイスホッケーのチームを見て、そして結局Southern Missに戻って来た上でマスターをとりました。(トレーナーの)資格はもう持ってたから今度は経験を積もうと思って、学校を選ばなければGraduate Assistantとして働けるから。そしてSouthern Missに戻って来たときに(スポーツ関係に)知り合いの上司がいて、それなら「じゃあ戻ります」と。

  あとは、ニューヨークが近いというのもあってコネチカットは物価が高いんだよね。その時は自分自身の貯金で留学に行ってたから、一年経った時に「これは卒業までお金がもたないな」と思って笑。当時住んでたハティスバーグのアパートが月辺り200とか300ドルとかで、向こう(コネチカット)は1000ドル超えてたからね。ガソリンも高い。

  そんな時に(Southern Missの)昔の上司が声かけてくれて、Graduate Assistantとして雇えると。それに事情も含めて話をしたら、Exercise ScienceのMasterで「お前ならいいよ、戻ってこいよ」と合格をすぐにもらえた。

――Southern Missにまた戻って来た時点で、
将来のキャリアは想像していたか。

  その時はまだどこかでアスレティックトレーナーとして働ければいいかな、と考えていた。だからその当時にその(Southern Missの)ボスがそう言ってくれたから、当分はそこに居てもいいかな、と思っていた。

  ただあの時はハリケーン「カトリーナ」というものが来まして。街が壊滅的になってしまった。僕はGraduate Assistantとして声をかけてもらった直後だったんだけど、一ヶ月くらい全く仕事が無くて…向こうもお金を払えなかったんだよね。

  そういう場合とかだとビザはややこしい場合があって、「何もしないでアメリカに滞在する」というのは僕ら外国人は出来ないんで。もし来年以降もアメリカに滞在したかったら「F(学生ビザ)にしとこう」という事情もあったんだよね。もちろんH(就労ビザ)をすぐに取れればよかったんだろうけど、その当時のミシシッピ州の大学は外国人を雇う姿勢はあるんだけど、ビザの手続きの詳細に精通している人は当時居なかった。その関係で、自由に動けなかった時期があったのは確かだね。

  だからそのままミシシッピ州でアスレティックトレーナーとして続けられていれば良かったんだろうけど、街のインフラ・学校も病院も、人々も壊滅的になってしまって。その時にいったん日本に帰ろうか迷ったんだけれども、その当時はMasterまで終えてたから、「じゃあまた学生ビザとしてPh.D(博士号)をとろうか」という考えに至った。

  その時に専攻したのが(今現在専門としている)Exercise Science、つまりは応用生理学。その当時はまだアスレティックトレーナーでMasterとかがキッチリは無かったんで。それに加えて皆が言っていたのが、「BachelorとMasterのATはそんなに変わらないよ」。つまりは(ATの性質上)学業的なことじゃなくて現場でナンボという世界だから、「あまり飾り(学位)を付けてもね」、と。それで僕が元々日本で勉強していたのがたまたま化学だったので、別にExercise Scienceに対して全く抵抗はなかった。まあATも含めて「難しい」と思ったことは一度もないんだけど笑。もちろん英語は勉強したけど。じゃあそういうことをやろうかな、と思って続けました。

――Ph.D修了までに、
どの位期間を要したか。

  僕は長いよ、6年間かかったもん。僕の場合のExercise Scienceは医学的なこともやってたから、その所は一番最短で出れて4年。だけど僕のラボの先生は良くも悪くも厳しい人だったから、僕の同期も先輩も含めて6年(かかるの)は普通じゃないかな。決して遅れたという感覚はしない。日本だと3年できっかり終えるだろうけど、僕ら(アメリカ)の場合はこの位の期間で「良かったね」っていうくらい。ひどい人は10年かかるから、あまり日本みたいに年数は関係ない。その代わり授業料も払わないし、毎月給料も貰ってたから。

――この(特定の)期間、ではなく
ちゃんとやる事を終えてから送り出そう、という。

  僕らの場合…Ph.Dは論文書いてナンボの世界だから。学校、じゃなくてその(ラボの)先生がオッケー出すまでやるから。それは学部も大学も全く関係なくて、周りから見れば「普段から忙しくしてて、こんなに一生懸命出版もしてるのに、なんでこいつらはこんなに卒業に時間がかかるんだろう」って思うだろうけど、逆に僕やその周りから見たら「なんでこれしかやってないのに卒業できないんだろう」だからね。Ph.Dなんてそんなもん。自分の担当の先生がオッケー言うまでやる、と。だから、あまり(卒業への)年数は気にしなかったかな。

――所属するラボは
どの様に決まったか。

  僕のやりたいことが筋肉関係だったんで、Masterの頃から読み始める論文とも併せて、そして面白そうなラボ・自分の研究内容に合ったラボを自分で3~4個見つけてきて。その中でカリキュラムもしっかりしてて、ランキングでも上位に居て。そういう目安を元にして候補を絞って、メールで応募すると。基本的に(この応募に関しては)大学は関係なくて、先生が許可を出したら入れる。僕の場合は返事が来た後に電話面接・現地面接をして、そこでGraduate Assistantとして採用すると言ってもらえたのね。留学生として考えた時に「夏にお金が入る」というのは大きくて、その期間の保証をしてくれたラボに入った。結果的には良かったと思うけどね。

――ここで「アスレティックトレーナー」から
「運動生理学」にシフト。

  本質的にはあまり変わらないと思うけど、つまりは「Kinesiology(=運動学)」という枠組みの下にアスレティックトレーニングやマネジメント・ここでいう運動生理学やExercise Scienceという風に分かれている。自分の場合は高校から受験も化学をやっていたから、そこは無理なく入れたんだよね。逆に言うと、僕は高校で生物教科をやったことがないんだよね。日本でもアメリカでも生物の授業取ったことないのに、今こうして生物を教えてるんだけどね笑。

――いわゆる一般的教養の「生物」と
スポーツにおける「生理学」は異なるのか。

  あんまり変わらないんだけど、微妙な違いはあって。「生物」ってすごく曖昧だなと思っているから。物理とか数学ほど理論が厳密じゃないんで最初は全く理解できなかったんだけど、今はこんなんでいいならやっていけるんだな、と笑。日本で化学を勉強していた時は周りが本当に賢く感じたけど、この分野(生物)に来て賢いと思った人は一人も居ないわ笑。ちょっと夢を壊すようで申し訳ないけど、だからこそやっていけると思った。つまりは、いかに自分を周りと比べて強くしていくか、勝てる存在にしていくかという事。だって今居る場所もそうだけど、(僕ら外国人にとっては)毎回完全アウェーだよ。ホームゲームじゃない。

  つまり、フィフティー・フィフティーとか僅差だったら、つまりは負けだからね。勝つ時は本当に勝たないと、勝てないから。そういったビジネスの中で「相手を見る事」は必要だよね。もちろん自分自身の能力云々もあるんだろうけど、自分を勝てる状況に持って行けなかったら…生き残れないよね。だからこれからの人に対しては、これから目指す場所を探していけばいいし、自分の世界を作っていけばいいと思うんだけど、仕事をするとなると皆さんがプロになるわけだから。今の段階において、授業料を払っている留学生はお客さんなんだよね。僕もここに欲しいよ留学生笑。お金を払ってくれるからね。こっちの子はほとんど州レベルで奨学金を貰って来てるわけだから。それで大学も州運営だと、州としては(収支の)プラマイがほぼゼロなわけよ。やっぱりお金を持ってきて欲しいし、留学生はout-of-state(州外料金)も払ってくれる。言い方は悪いけど、お客さんなんだよね。

  留学生がアメリカ人と同じ土俵で本気で競争になった場合に、それでもあなたはサバイバルに勝っていけますか、と。そういう時に「勝てる分野」を自分で見つけておくことは大事じゃないかな。(こういう意味では)日本の方が楽だよ。特に今ではアメリカで新政権になって、外国人を雇い渋ろう・アメリカ人をもっと雇おうという環境になってきている。それでももしアメリカに残りたいのであれば、やっぱりライバルに対して圧倒的に有利な個性…相手と相対的に比べた時に勝てる土俵・勝てる環境を作っていくのが常套手段じゃないかな。

――周りを見た時に
「自分にはこれがある」というのが必要。

  それでも切磋琢磨していって伸びる人は伸びるし、若い内はそういう勝ち負けから学ぶこともあるんだけど、大人になってから負けました、帰りましょう、でも日本で職がないという訳にはいかない。だから留学生は最初は本当にお客さんだけど、これからアメリカ人と地位を争っていくときに、言葉のハンデは絶対にあるから。それでも相手に対して文句なく勝つために、特技なり才能なりをいかにアピール出来るか・「言葉の壁があっても、なお君と仕事がしたい」って思わせるような環境を作っていくのが大事じゃないかな。

  最初は分からないけど、僕も何もなかった状態からここまでやってこれて。今の仕事(ルイジアナ大学)もコネクションじゃなくて公募で受かったものだから。その時はPh.Dをとった後で、さらに調査の研究を数年間していた。そういう「そろそろどこかに行きたいな」と思っていた時にたまたまポジションに空きがあったのがキッカケかな。Ph.Dをとったすぐ後に仕事を探すんじゃなくて、一定の調査・研究で実績を作る段階を設けて研究設備・資金を提供してもらうのがPh.Dの場合の「就職」だからね。そうやって、研究を続けていると。

――今現在の研究内容は。

  骨格・筋肉に関して、筋肉は一回成長したら基本的に数の増減はしないんだけど、例えば寝たきりや宇宙旅行後とかの場合に筋肉が衰えてくる。その中で僕が一番見てるのは、病気(特に糖尿病・がん)になった場合に伴う筋肉の萎縮の原因を調べています。後は今の担当がExercise Scienceなんで、抵抗運動や有酸素運動によって「筋肉の萎縮を緩和・良く出来るか」というのも見てます。それに加えて、エイジング(加齢)における筋肉の衰えに関して運動なり医薬品なりでその衰えを防げないかな、というのを主な研究テーマとしています。広い意味では医療だし、アスレティックトレーニングでは「リハビリ」なんて言ったりするけど、僕らの担当は「筋肉が治っているかを細胞レベルで確かめる」というのを見るのがメイン。

 

日本スポーツ業界の
若い種と未来を見つめて。

――「スポーツ」という世界を求めて
アメリカ留学をして
日本にその経験を持ち帰ろう、と
考える生徒が増えてきている。

  今現在日本を含めて、(スポーツ関連の)学部・学生が増えてるんだよね。今までなかった大学でもスポーツ関連の学科が増えてきていて、実は専門学校でも増えていたんですが。それ(学部を増やす理由)はビジネス的にお金になるからだそうです。沢山の生徒が来る。もの凄く生徒ウケして…日本の大学が何で儲かるかって、「受験料」なんです。受験料が増えることが一番大学にとって嬉しい。「学生が来ること」じゃない。「学生ウケが良いこと」。そこはビジネス。それによって教員ももっと貰えるから笑。そういう意味では言い方は悪いけど、(スポーツは)実に「お金の生る木」。

――今、アメリカ留学に向けて
準備を進めている人に向けて
「こういう経験はするベキ」というのは。

  (少しの沈黙)…うん、がんばって笑。

  頑張って、っていうのは「日本orアメリカ」の選択肢が正しいかどうか・後で(その選択に)悔いがないようにしてね、ていうくらいかな。やっぱりどっちに居たとしても得るもの失うものはあるんで。僕なんかはアメリカ滞在が長くて、日本の友達と疎遠になるからね。日本に残っている家族の状況もあるだろうし、将来的には色々な要素が入ってくるんだよね。そういう意味で自分の意志だけじゃなくて周りの支持も含めて、どっちに行っても良い事・悪い事は絶対にあるんだけど、やりたいことがもしアメリカにあってやってみたいって思うのであれば、出来る範囲で頑張ってね、ということ。来るなとも言えないし、逆に絶対来いとも言えない。だから自分が信じたことに関しては責任を持って、「頑張ってね」…くらいしか言えないかな。

――最後の質問に。
佐藤先生自身の「今後の目標」を。

  学校の先生としては、ありきたりだけど…僕はリサーチをし続けないといけない人間なんで、やっぱりもっとリサーチして研究資金を呼び込んで、学生を雇って、「次の人材を育てたい」っていうのはあるよね。本当は必ずしもアメリカに残る必要はないんだけど、アメリカに来た元々の理由の一つが「年齢制限がないから」。日本の大学だと助教授は35歳・教授は40歳までとかあるけど、僕はアメリカでPh.Dをとった時点でもうとっくに過ぎてるから。そういう「基準」が無い面でもアメリカはいいな、と思った。プロの教授としては論文の数とリサーチの質、そして「どれだけ将来に人材を生み出せるか」ということだから。彼ら(生徒)の将来の糧になるようなことをもっとやっていきたい、というのはもちろんあるよね。まだまだ安定した立場じゃないけど、プロとしての仕事を全うしてきたい。そしてまたどこかでサバイバル…生き残っていかないといけないところはあるだろうね。

  後は人生(全体として)の目標は…豊かな老後笑。というのも僕はアメリカに来たのが(年齢的に)遅いんで、本来日本だったらバリバリに働いていなきゃいけない30代の半分を、僕は学生として過ごしてるんだよね。という事はその(日本での6~7年の収入)分なり、ないしそれ以上の収入を自分で持ってこないと。しかも僕の場合は日本での年金受給資格が怪しくなってきているんで※この辺りは日本国外での生活・労働期間に関係している、全て自分個人でリスクを負っていかなければいけない。そういう意味で…死ぬ前にホームレスにならないようにとかね笑。

  後はアメリカの良いところとして、教授として研究資金を貰ってやっていると定年退職がない。70歳くらいになってもやっている教授も居るし。定年を決めるのは自分だから。自分がそう(辞める)と決めるまでは永久雇用だから。研究資金とやることがあればずっと大学に居られるから。だから…ボケないで笑、生徒にも学校にもそれほど批判を受けず、末永くお金を貰えるようにしたい。少なくとも僕の場合は30代のブランクがあったんで、少なくともその分は稼がないと。だから豊かな老後は冗談にしても、最後になって公的資金に頼る事も出来ずにもの凄くひもじい思いをするんじゃなくて、豪華じゃなくていいから最低限…「尊厳のある死」というか笑。そのためには今の仕事をもっと頑張らなきゃいけないし、僕はまだまだスタート地点なんで、目標としては生き残っていく上で自分の分野に磨きをかけたいし、雇い主に対しては「なぜアメリカ人ではなくて僕を雇ったか」という理由を提示し続けたい。

――ルイジアナ大学では
現在2年目。
ここから3年・4年と
ぜひとも頑張ってください。

  本当にありがとうございました。

 

 

(聞き手・文章・編集 スミカ(Rick))
(収録日 2017年4月8日)
(場所 University of Louisiana Lafayette)

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