「英会話は声を張ろう」experienced。

ノンフィクション – experienced

「日本語だと声がデカイ奴が
英語になると途端に小さい声になるあの現象、
何なんだろうね」

「分かる分かる笑。
声量がガラッと変わって、性格まで変わったみたいで。
日本語でのあの威勢はどうしたって思う」

甲と乙は元同級生の留学生だった。

「そう。ホントにそれなんだよね。
日本語だと無駄に活発的でおしゃべりな癖に、
英語だと大人しくなるヤツ、大嫌いなんだよね」

「でも、正直
そうじゃない人の方が少なかったような」

「確かに。乙含め、ね」

「そうかな…」

乙が弁解する。

「なんというか私の場合は英語以前に
日本語でも訥弁でゆっくり話すから、
言語が違ってもあまりスタンスは変わらないんだよね」

「そういえばそうだったね、乙。
日本語でもゆっくりはっきり話してるし」

「それは…甲もそうだと思うよ。
言語間での情報量・語彙量じゃなくて、
甲みたいにそういう『性格のギャップ』がない人は
英会話も英語もうまいよね」

換言すれば、
学習の初期段階は致しかたないが
何年も学習しているというのに
「別人格」を作らないといけないのはある種いただけない。

「ありがと。でも乙、前に
『日本語での人格と英語での人格を使い分けてます』
みたいな日本人の先生いなかったっけ?
まああの人は英語出来たけどさ」

「あぁ、いたね。
あれはちょうど留学一年目だったね」

「その方の場合はどうなの?」

甲が気持ち意地悪に詰め寄る。

「あぁ、あの人は必要十分だったよ」

「どうして?」

「だって、あの人は
『文化に合わせて変えるべきところを変えているだけ』だから。
例えば結論の位置とか感情表現とかその他諸々ね」

「ほう」

「でも、例えば
『相手に伝わるようにはっきりとした声で話す』っていうのは
言語関係なくコミュニケーションの本質じゃんか。
あの人はそういうのが分かってたんだと思う」

 

…筆者、スミカ(Rick)

「英会話は声を張ろう。」

【追伸】
これを書いている最中に思い出した言葉。
不易流行。
変えるべき部分と変えてはいけない部分。

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