「本来、人に教えるということは」experienced。

ノンフィクション – experienced

「こないださ、教育業界で教材制作してる友達と
『どうして教えたがり屋さんはダメなのか』
みたいな議論になったことがあってさ」

「おぉ、本物の教えるプロとその話になったのね」

パソコンの画面越しに語り合う甲と乙。

「うん。
でまあ、その人の結論はシンプルで
『「頼まれてもいないのに」「無料で」教えるのがよくない』
っていうことなんだよね」

「ほう。
一つ目はまあ分かるとして、
二つ目も大事なんだね」

「いや、むしろその人は
後者の方が本質だって言ってた」

無料で教えるのがよくない、の方である。

「お金を取らずに物を教えるな…ってことか」

「そう。
人って本能的にそうらしいんだけど、
全く同じ情報だったとしても
無料と有料では『感謝』が違うらしいんだよね」

「あぁ…
有料の情報はありがたるけど、
無料は全くそんなことないってことか」

「そう、そのとおり。
せっかく親切に教えてやっても、
無料でやっちゃうから相手は感謝しない。
だったら有料の方がいい…って言ってた」

これは教育業のみならず、
全てのビジネスにおいて同じことが言える。

「…で、多分それが本質じゃないよね、甲?」

「…まあね」

お互いに本質という言葉が大好きだった。

「これは言っちゃいけないんだろうけど、
教えたがり屋って…100%自己満足なんだよね。
相手の需要とか状況とか一切関係なく、
『自分が人に物を教えた』という事実でオナニーしてるの」

「こういう仕事してると、その気持ちは分からんでもない。
人に何か教える時ってさ…
『こっち…先生が上で、生徒が下』っていう
絶対的な関係性が構築されるもんね」

「そう。
お手軽に先生気分を味わいたい…
教えたがりってのはそういう
うだつの上がらない底辺だってその人は断言してた」

友人という名詞を借りながら、
甲も甲で中々過激な物言いであった。

「じゃあ、その人の業界はどんな人が頂点なの?」

「有能で静かな人。
求められた場合に限り、最高の答えを一瞬で出せる人。
まあ、本物のプロってやつだね」

これは乙自身にとっても一戒めである。

 

…筆者、スミカ(Rick)

「本来、人に教えるということは。」

【追伸】
自分から教えたがるのは押し売りと同じ。

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