量が正義か、質か正義かの問いは
もはや鶏が先か卵が先かの問題である。
だが、これに関して甲はこう提言している。
「質について語っていいのは、圧倒的な量をこなしている者だけ」
量を経験して初めて、
質のいい・悪いが分かるようになるということだ。
質の目利きは量をこなさないと出来ない。
量を経験せずに最初から質に逃げるのは、
経済を全く勉強したことのない人が
経済評論家になるのと同じことである。
これは学生時代の乙を
例えで持ってくれば分かりやすいだろう。
乙は体育会系の部活で万年補欠だった。
全く量をこなさないくせに、
「より効率の良い練習を」などとほざいていた。
乙の周りは
「口を動かす前に身体を動かしてくれよ」と
白い目をしていた。
知らぬは乙本人だけであった。
質を語るためには圧倒的経験が必要だ。
そのためにはまずは量なのである。
「経験は少ないけど成功したいです!」と
量をこなさずして質を求めるとどうなるか。
騙される。
騙されるだけならまだしも、
全財産と全時間をポイ捨てされておしまいである。
甲ならこう言うだろうか。
「『勉強は質重視!』『まだムダな勉強してるの?』
と言っている人に限って自分はちゃっかりガリ勉していたりするから、
その人の言動よりも行動を見たほうがいい」
乙は静かに唸った。
…筆者、スミカ(Rick)
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