この文章を読んでいる人の中には、
「子供を塾に入れようか検討しているけど、迷っている」
「色々と調べているところだ」
という方も多いだろう。
そういった方に向けて伝えたいのは、
塾の入会は迷ったらゴーサインであるということだ。
「他人から勉強の『(すぐに見える数字ではなく、)プロセス』を評価される」
という機会が貴重かつ有益だからだ。
これは一回経験しておいて悪いことはない。
例えば、特に現時点での成績が悪い子に言えることだが
(稀に成績が良い子にもあてはまることもある)
勉強の内容を間違ったまま覚えてしまっていることが多々ある。
これは自力で治すのは極めて難しい。
「これはこう間違っているよ」と気付かせてくれる他者の力が必要だ。
そういった意味で、第三者が見てくれる学習塾は一考の価値がある。
続けるかどうかは別にして、一回試しに入れてみて損はない。
そしてもう一つの大きな理由として、
私もこんな例はこれまで何度も・何人も見てきたが
勉強できない子というのは時を経るごとにどんどんできなくなっていく。
ただでさえ間違って覚えていたのに、
その後追跡調査したらもっと間違った方向に突き進んでいて
もう取り返しのつかない状況になっている。
現時点で勉強ができない子であればあるほど、
放っておくと今よりもっと酷いことはなってしまう。
「ここが下限」というものはなく、際限なく落ちていく。
であれば、今よりもっと悪化してしまう前に
できるだけ早い段階でとっとと塾にぶち込んだ方がいいのだ。
オブラートに包んで言うと、
バカはほっといてもバカのままだし、放っておくと以前よりももっとバカになる。
自力でどうにかできるような子であれば
そもそも現時点でバカではないからだ。
仮にバカの現時点の偏差値が30だとして、
ずっとそのまま30で停滞するということはない。
25、20、測定不能…と際限なく落ちていく。
繰り返すが、「ここが下限」というものはない。
目の前の勉強ですらチンプンカンプンだと言うのに、
時を経るごとにどんどん学校の授業は進んでいくのだから当たり前だ。
ここで
「もういいや」
と根本的に投げ出す子は逆に救いがある。
何にも知らない状態で塾に来てくれる訳だから、
こちらが教えたことをそのまま素直に吸収してくれるからだ。
中1を半年間経験してしまった生徒よりも、
「これから中1です」
という子の方が何もクセがないまっさらの状態だからむしろ教えやすい、
というのは塾講師であれば全員首肯するところだ。
学習態度さえ改善すればいくらでもどうにかなる。
だが問題は、
「主語・動詞を無視して、とりあえず頭に浮かんだ順に書く」
「Yesは全部Yes, I doで答える」
「seeの過去形はseed、makeの過去形はmaked」
…等々、間違ったものが長期記憶に定着してしまった場合だ。
塾講師としてある意味一番面倒なのはこの手の子である。
なぜなら揃いも揃って全員頑固だからだ。
「でも今まではこうやってきました」
「これで覚えました」
「そんなのは習っていません」
なんて言い出すから手に負えない。
だがそれは、ひらがなを全部鏡文字で覚えてしまった上で
「僕はこれで覚えたんで、後から直せと言われても困ります」
とほざいているようなものだ。
間違っているものは間違っている。
そこに議論の余地はない。
もうこうなったら学習塾もお手上げである。
だからせめて、この状態に陥る前に
「あれ?この子、根本的に勉強ができないな…」
ということに誰よりも迅速に気がついた上で
しかるべきところにぶち込んで差し上げるのが親としてのしつけである。
…筆者、透佳(スミカ)
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