System:教科書は分かりづらくて当たり前。だからプリント授業になる。

親御さんには絶対に教えない学習塾のホンネ

そもそも学校の教科書は分かりやすさを第一に作られていないから

それを読んだ生徒が分かりづらいと感じるのは当たり前である

と聞いたらあなたは驚くだろうか。

学習塾向けに作られているいわゆる塾専用教材もこれと同じで、

理科や社会の暗記ドリルのようなものを除けば

基本的には分かりやすさが第一ではない。

それは

「教科書を読んでもチンプンカンプン」

という生徒が未だ日本中にいることからもよく分かるだろう。

では教科書やテキストは何を第一に作られているのか。

正しさなのだ。

つまり、正しい情報を漏れなく載せ、間違った情報を載せないこと

教科書やテキストにまず求められることなのだ。

その究極が学術論文である。

究極、どんなに分かりづらい文章を書いたところで

その文を読む側の人が頑張って理解しようとすればいい話だ。

教科書を作る側としても

「でも間違ったことは言っていません」

「まだまだこのテキストを読むにはあなたは力不足ですね」

と言い訳をすることができる。

だがそれに対して、

載っている内容そのものが間違っている場合には言い訳が一切できない。

言い訳が一切できないどころか、

日本史・世界史・現代社会の教科書本文がたまにニュースになるように

情報一つ・文言一つ間違っていれば社会問題・果ては国際問題に発展してしまう。

「分かりづらい」とクレームが来てもいくらでもどうにかなるが、

「間違っている」とクレームが来てはその制作会社の進退に関わる。

そういう訳で、世間で使われる教科書やテキストの大半は

分かりやすさ<正しさ

となっているのだ。

私も英会話教材の制作に携わった経験があるからこれはよく分かる。

「分かりづらい」と言われるのも確かに怖いが、

「文法が間違っている」と言われる方がその100倍怖いのだ。

だが、そんな教科書をそのまま読んでいれば商売になる学校教育と違って

学習塾はそれを分かりやすく噛み砕かなければ商売にならない。

正しいのは当たり前として、

その上分かりやすく伝えなければお話にならないのだ。

「学校の授業が分からなくて塾に来てるのに、ここでも分かりづらいじゃん」

と言われたらもう生徒が来なくなってしまう。

そこで学習塾は一旦、正しいことは正しいこととして

分かりやすさ>正しさ

のスタンスで教えようとする。

まずは理解してもらわないと塾の存在意義がないからだ。

その結果生まれるのが

塾講師が独自に教科書を要約・加筆修正、

アレンジを加えて生まれるプリントを使った

教科書をあまり使わない「プリント授業」である。

かく言う私も塾講師として、このプリント授業を突き通してきた。

教科書は「使えたら使う」程度の副教材のように扱って、

私が独自に要約・編集等したプリントを配って授業を進めていた。

このスタイルについては生徒や親御さんに幾度となく聞かれただけではなく

同業の塾講師から嫌味を言われた経験も何度もあるが、

私は一貫して

「教科書って実は分かりづらいので、こうしているんです」

と答えてきた。

もう少しストレートにお伝えすると、

教科書を読んでそのまま理解して点が取れるような子を塾は対象にしていない。

「教科書だとよく分からない」という子にターゲットを絞っているのだ。

現に「教科書よりも学校よりも分かりやすい」という声を沢山頂いたし、

あのスタイルは我ながら正しかったと今でも確信している。

そんな私自身のことを棚に上げて言うと、

本当に生徒第一・顧客第一である塾はプリント授業・独自テキストを使うことが多い。

単にラクをして稼ぎたいだけだったら、

わざわざ手間のかかる独自プリントなど作成せず

教科書片手に適当に喋っていた方が気楽だからである。

それに対して、

「生徒第一」と言っておきながら実際には口だけの塾は頑なに教科書以外を使わないことが多い。

その方が教える側の仕事が少なくて済むからだ。

それ以上の理由はこの宇宙に一切存在しない。

もちろん、ここで私は

「教科書は絶対に悪い」「独自プリントが絶対に良い」

という話をしたいのではない。

ただ、「教科書がイヤだから」という安直な理由で

学習塾はプリント・オリジナルテキストを作っている訳ではないことを知っていただきたいのだ。

 

…筆者、透佳(スミカ)

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