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【OneListenOneSoul#9】「人とは違う」スペイン語―Hirokazu Etoさん【中編】

OneListenOneSoul

 

インタビュー企画「OneListenOneSoul」

こちらの記事は第9回【中編】です。

現在、アメリカ・メキシコ間における
マキラドーラ・ビジネスを監督する立場にあるEtoさん。
中編では、日英・スペインの3カ国語を扱う彼に
スペイン語という武器について話して頂きました。

 

 

――(ホテル従業員と会話)スペイン語、かなり流暢ですね笑。
スペイン語があると、また違う世界が広がるような。

  全然違う。英語とスペイン語があると、かなりの国に行けるでしょ。ロマンス・ランゲージ(Romance Language。欧州発のラテン系言語のグループ)といって、元はローマ帝国時代からの言葉だから同じ単語が結構あったりして似てるんだよね。スペイン語が出来ると他のラテン系もなんとなく分かるから、アドバンテージは結構ある。

――それはもちろん、日本人にとっても。

  そう、そしてスペイン語が面白いのは母音がしっかりしているから日本人の方がちゃんと発音出来ること。アメリカ人の話すスペイン語って、英語のアクセントがあってちょっと変なんだよね。

  だから、メキシコの人たちは日本人がきれいに(スペイン語を)話すから驚くんだよね。日本語は英語とはかなり遠いけど、スペイン語とはかなり近い。文法・特に動詞の変化はより難しいけど、話すのは私もスペイン語の方がラクです。

――スペイン語の勉強を始めたキッカケ。

  最初のアメリカ留学の時はAmerican Historyを専攻してたんだけど、あきちゃって。それで元々語学が好きだったからスペイン語に専攻を変更しました。

  当時は話す・聞く力がまだまだだったから伸ばしたかったというのと、それでも「語学が好き」というのは…グラマー(文法)が何故か強くて好きだった。テストでも自信がついて、やっているうちに面白くてはまっちゃった。そそれがスペイン語を始めたキッカケかな。でも、前は人生が今の方向に行くとは全く考えてなかったけどね。

――別の方向になる可能性もあった。

  以前に勤めていたグリコのフロリダ拠点(今はない)を離れた後にいくつかの会社から内定をもらったけど、待遇が一番良かったのは(現在の会社ではなく)実はシカゴにある銀行だったんだよね。それでシカゴに行っていたら、今私はここに居ないし人生が変わっていた。でも今では、行かなくて「良かった」と思っています。

――行かなくて「良かった」とは。

  今のアメリカ南部とメキシコ国境での(マキラドーラ・ビジネスの)仕事は楽しい。確かに出張が多いけど、私は飽き性だから、ずっと机の上・ずっと同じ仕事をこなすのはあまり好きじゃない。

  そういう面もあって会社もこれまで変えたりしてきて今は4社目だけど、私の性格上ずっと同じ会社に居続けるのはダメ。環境を変えると刺激になるし、新しい事にチャレンジするのが好きだからね。

――Etoさんの年代で「同じ会社に拘らない」のは珍しい。

  日本のいわゆる「レールに乗る」文化、最初に入った会社でずっと…今はそういう時代はとうに終わっている。東芝だってソニー・三洋も…当時は大企業と呼ばれてたけど、今は縮小したないし存在しないでしょ。そういう会社に入れば「エリート・一生安泰」なんて言われてたけど時代か変わって、今ではどうなるか分からない。

――昔ほどの「安定」はとうに終わった。

  その中で何が頼れるかって、自分自身の武器だよね。そして、他の人が持ってない武器じゃないと。私はMBA(経営学修士。ビジネス学位)をとってるけど、昔と違って今は(持ってても)あんまり意味がないんだよね。

  当時は大学に進む人自体が少なかったけど、今ではすっかり大学進学が当たり前。何の意味もない笑。今でもそうだけど、私は留学する時に自分で決心して「人とは違う事」をやると決めました。

  実は私は野球の特待生で高校に入ったんだけど、朝から晩まで練習で勉強をする暇が全く無くて。それで「このままでいっていいのか」と当時の家庭教師の方に相談したんですね。

  そしてその方に、『プロになる自信があったらやるべきだけど、なるだけじゃなくて活躍しないとお金は稼げない。それは宝くじにあたるようなもの。そんな危険を冒すよりも将来に向けて勉強をするべきだ』と言われて。

  それを言われた当時はショックがあったけど、結局1年で野球を辞める決断をしました。そしてそこから、他にやる事を探す探検が始まると。

――そして選んだ道が、「アメリカ」という選択。

  野球を辞めた後、プロ選手になるのがそれまでの夢だったから何もなくなってしまって。何か見つけないと…という時に偶然テレビで見たのが、ビックフット(アメリカの未確認生物:UMAの一)とかいいな~って笑。

  それは冗談だけど、昔から私は人と違うことがやりたくて。高校の時も皆やることはやらない。東京に行った時も皆が着ているダウンジャケットは着ない笑。変な所でひねくれてて、とにかく人と同じことをしたくなかったんだよね。

――「人と違う事」を求めて、アメリカに。

  いや、それでも最初の目標は違いまして。最初にアメリカに来た時は英語だけ勉強して帰ろうと思っていたんだけど、ESL(英語学習のための大学機関の一)で学んでいた時に博士号を勉強していたとある日本人の方にこう言われたんだよね。『たかが5~6か月ESLで英語を勉強しようが、ビジネスでなんて全然役に立たないよ』と。

  そしてESLを出た後にお金を貯めて、ペンシルベニア州で正規留学しました。そこでスペイン語を専攻することになって道が開けた。その当時はトリリンガル(3か国語話者)があまりいなかったから、それが(自分だけの)武器になったね。

――当時はMBAも希少だった。

  そうだね、だから留学中に経験を積んでアメリカ経理の経験を積んだし、メキシコの経理・特にマキラドーラ・ビジネスの知識も身に着いた。そういうニーズが日本国内にあったからこそだね。日本から事情に疎い駐在員を送っても中々うまくいかないから、現地で経験豊富な人がいたら強い。

  まあ、私の場合はスペイン語もたまたま選んだんだけど笑。でも、一つ言えるのは「人と違うこと」。ESLの時も、なるべく日本人がいない場所を選んだり。たまにいるじゃん、日本人同士で集まっちゃって結局旅行英語しか話せないような人たち。特に若いうちは、より厳しい環境の中で自分の武器を作るべきだよね。

  私の場合はグリコで働いていた時、メキシコのド田舎でスペイン語しか通じなかったような場所に3か月・1カ月半と2年連続で長期出張があって。ほとんどの人が英語を話すことが出来なくて、毎日がスペイン語漬けだったね。その経験があったからこそ、私の語学は磨かれました。毎日、下痢との戦いでしたけどね笑。

  でも、仕事をする・させるのって「言葉だけじゃダメ」なんだよね。

 

 

【後編に続く】
「監督」としてのシゴトのあり方

 

今日のゲスト

Hirokazu Etoさん

現在はフロリダ州サラソタ在住。
阿蘇製薬アメリカ支社の経理シニアディレクターを務める。
アメリカ・メキシコ間でのマキラドーラ・ビジネスに精通する。
香港出身の妻と2人の息子がいる。

 

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