W.A. #2『なぜ南ミシシッピ大学で教養学専攻を選んだのですか?』

Word. Answer.

プロフィール拝見しました。
現在在学されている南ミシシッピ大学で
教養学を専攻されているとのことですが、
またどうして教養学を選ばれたのでしょうか。
いわゆるリベラルアーツカレッジではなくて
総合大学ですよね?
ただの好奇心ですみません。
また、海外大学留学における
専攻の選び方のコツも併せて教えてください。

(東京都・学生・Nさん・女性・20歳)

Nさんがおっしゃる通り、
ここ南ミシシッピ大学(通称USM)は
リベラルアーツカレッジでもないのに
わざわざ教養学なんて選ぶのは異質です。

と思われるでしょうか。

二年前のデータですが、
USMの教養学部学士号過程には
67名の生徒が在籍しています。

全体の生徒数は一万を超えるので
微々たる数字ではありますが、
たとえこんな辺境のへんぴな州立大でも
一定の需要はあるということです。

さて、私自身の話です。

元々教養学を専攻し始めたのは
ミシシッピに編入してくる前、
つまりハワイ短大在籍時でした。

その頃特定の分野への興味が薄かった私は、
「様々な分野を広く経験・吸収してみよう」
という向学心を持ってまずは教養学、と選びました。

というのは嘘で、
そのハワイの短大は
単にリベラルアーツカレッジであった
というだけです。

つまり、教養学一択でした。

どうしてアメリカにおいて
この類のリベラルアーツカレッジが
増えてきているかは、
二つの理由に分けられます。

  1. まず一般教養を固めよう、という目的の下
  2. アリストテレスのようなスーパーマンになる

一つ目については、
これは日本の大学でもそうですが
専攻科目・専門科目を学ぶ前に
一定数の「一般教養クラス」を履修せねばなりません。

そこでよくあるパターンは、
教養学専攻として
カレッジの大学1年・2年の期間で
それらのクラスを制覇してしまった上で、
別の大学に編入学することです。

その為リベラルアーツカレッジの多くは
短大(二年制)であり、
かつ一般教養クラス「のみ」を開講しています。

私が在籍していた短大もこのパターンです。

または、大学入学当初に
明確にやりたいこと・専攻が決まっていない生徒が、
とりあえず色んな分野に触れておいて
追々専門科目をしぼろう…という考えで
教養学専攻になることがあります。

結果的にではありますが、
私自身もこのパターンでした。

さて、二つ目の「スーパーマン」ですが
これはエリートどころではない
超のつく天才が行きつく選択肢です。

一言で言えば、教養学部は
専攻がないのが専攻です。

その為、天才にとっては
全ての分野を網羅して
全ての分野で専攻を取るかそれ以上の勉強をし、
全ての分野で専門家になってやろう、という学部になります。

究極は『全学の祖』こと、
前述のアリストテレスです。

例えばアメリカでは、

  • アマースト大学
  • ウェズリアン大学
  • ウィリアムズ大学

これら通称リトル・スリーは、
規模こそ都会の大学には劣れど
アイビーリーグと十分張り合えるくらいの
超伝統・名門大学として知られています。

そしてリベラルアーツは、
政治家や教育者を中心に
世界で活躍する人材を多く輩出し続けています。

さて、そんなエリートではない私は
USMに編入してきた際に
いざ専門科目をやろう!と思い立って
専攻を経営学部スポーツマネジメント学科に変えました。

そして、半年足らずで挫折しました。

その際に、結局元の鞘に収まるという形で
馴染みのある教養学に復帰したのです。

これのせいで、卒業が一学期分遅れました笑。

ずっと教養学を専攻し続けていれば
恐らくは今年末で卒業だったはずですが、
無事に来年5月まで伸びてしまいました。

なので結論としては、
情けない限りなのですが
自分から選ぼうと思って
教養学を選んだ訳ではありません。

ですが、これはこれで楽しい分野です。

「専攻がないのが専攻」なので、
学びがあると自分が見い出すことが出来れば
何にでもこじつけて学びを深めることが可能です。

このブログでの連載
今日の留学情報』がまさにそれです。

ですが、私のようなノンキャリが手を出すと
どっちつかずになってしまうこと必至なので
普通の人にお勧め出来る専攻ではありません。

最後になってしまいましたが、
「専攻選び」の基準は一つです。

なぜ、自分はその分野を心から勉強したいのか

これに対する具体的な複数の答え・理由と
将来の明確なビジョンがないと、
道半ばでほぼ確実に挫折します。

かくいう私も無事に挫折しましたが、
これはまた別の機会にしましょう。

 

解答、スミカ(Rick)

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