English:誰の助けも借りられない状況でこそ、会話力は最も伸びる。

孤独の留学

私は留学生活の前半、同級生の中で一番早く進級していたし

図書館で同級生相手に英語を教えるチューターとしても働いていたので、

それなりに英語力には自信はあった。

「これならアメリカでもやっていける」という自負もあった。

だがアメリカ留学3年目の春休み、アリゾナ州でその「事件」は起きた。

私はその時、知り合いの主催するイベントに「通訳・スタッフ」として同行していた。

そのイベントは日本の大学生向けのアメリカ研修旅行のようなものであり、

日本から大学生が10名〜15名ほど参加していたように思う。

私もその研修内容に興味があり、その知り合いのご厚意もあり

通訳として滑り込ませてもらったということだ。

何が起きたのかは簡単だ。

自分がいかに英語が話せないかを痛感したのだ。

その研修は団体であるという都合上バス移動が多かったのだが、

そのバスの運転手と私が話そうとした際に

目の前でスマホを取り出されて、Google翻訳を使われたのである。

その人が私の顔に向かってグッと突き出してきた画面には、

ご丁寧にもフリック入力された英文と翻訳された日本語が並んでいた。

これの何が屈辱かといえば、

「こいつは聞き取れないな」と判断されたためか、英語で話しかけてもらえないことだった。

「お前はこれでも見ろ」とばかりに、

全ては画面上の無言のやりとりになってしまっていたのだ。

通訳として呼ばれているのに、これは何とも情けない話だった。

研修先の一つだった某スタジアムでも、

現地のスタッフや試合を観にくるお客さんの話す英語が速すぎて全く聞き取れなかった。

聞き直そうにも、聞き直した英語がまた速すぎたのだ。

そうしてこちらがあたふたしている間に、

「Never mind」「That’s OK」「Your English is not very good」といった言葉を浴びせかけられる。

私が「自分一人では所詮この程度なのだな」と悟った瞬間だった。

私の英語力が高かったのではなく、

今までは群れていて周囲に助けられていただけだったのだ。

この出来事を経験して以降、私は「孤独」ということがどういうことなのかを思い知った。

誰も助けてくれない。

隣を見ても頼れる人がいない。

全ては自分一人の力で、この場をどうにか対処しなければならない。

それが孤独の留学なのだ。

だがそれは換言すれば、英語力アップのチャンスを独り占めできるということでもある。

これは全てにおいて言えることだが、

何で一番成長するかといえばやはり「実戦で鍛えられること」である。

実戦の中で恥をかいて、汗をかいて、情けない思いをして、涙目になりながら

それでもどうにかコミュニケーションを成立させようとする。

この体験を通じてこそ、最も「あなた自身」の会話力は伸びるのだ。

その機会を最大限享受するためには、一人で行動するのが一番だ。

その後の留学生活後半において私は

ひたすら「自分一人での実戦」に揉まれたこともあって

少しは会話力・一人でどうにかする力が身についたように思う。

そして今、こうしてここにいる。

 

…筆者、透佳(スミカ)

『孤独の留学』特設ページ(目次)はこちらから

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