誰にとっても時間が究極の資源なのは間違いない。
「1時間自由な時間をあげます」と言われたら喜ばない人はいないし、
全てを手に入れた人が最終的に望むのは永遠の命、つまり永遠の時間である。
この時間だが、確実に増やす方法が一つだけ存在する。
それは孤独になって単独行動に努めることだ。
これは別にはったりでもマジックでもない。
集団で行動すると、「個人」としての時間が死ぬということをここでは伝えたいのだ。
例えば、留学生同士のグループで図書館に行くとしよう。
Aさんが探している本とBさんが探している本とCさんが探している本は全てバラバラだ。
Aさんが本を探している間、BさんとCさんはそれに付き合わなければならない。
Bさん・Cさんの場合も他の二人は同様に付き合わなければならない。
「私の本探しは付き合って、でもあなたの本探しに私は付き合いません」
というとそれが決定打になってそのグループからハブられるからだ。
この世の過半数の人にとってハブられることは何よりも恐ろしい恐怖だから
「ハブられるぐらいなら」とBさん・Cさんのために時間を消費することを選ぶ。
もちろん、自分に関係のないBさん・Cさんの本選びに付き合うことに
Aさんが心の底から喜びを感じている場合はその限りではないだろうが、
Bさん・Cさんが選んでいる間は基本、Aさんの時間はそこに吸い取られている。
そして図書館で群れているということは、留学生活全てにおいて群れるということだ。
みんなで教室に行って、みんなでカフェテリアに行って、みんなで宿題をする。
グループで行動する以上、
「個人の勝手な行動によって集団の和を乱してはならない」
という絶対の掟が存在する。
つまりその分個人で自由に使える体感の時間が少なくなるのだ。
それに対して、一人で図書館に行く場合はどうか。
当たり前だが、自分の用事が済んだらそれで終わりである。
自分の用事が終わった後もダラダラと図書館に居続ける必要はない。
最優先で自分の探したい本を見つけ、終わり次第帰ることができる。
つまりこの人は自分一人のためだけの時間を謳歌し、かつ時短することができるのだ。
そして図書館で単独行動するということは、留学生活全てにおいて基本一人だということだ。
一人で教室に行って、一人でカフェテリアに行って、一人で宿題をする。
一人で行動する以上、いつどこで何をしようが個人の自由だ。
「そこは静かすぎるからもう少し賑やかな場所で勉強がしたい」
「私が終わるまでもう少し待っていてほしい」
等、自分の行動に対して異議を唱えられたりストップをかけられたりすることもない。
その分、個人で自由に使える体感の時間が増える。
最初のチャプターでも書いたが、留学生活は放っておくと群れるようになっている。
下手すれば朝起きる瞬間から夜寝る瞬間までずっと隣に誰かしらがいる。
しかし群れれば群れるだけ、あなたは他の人のために自分の時間を割かなければならない。
それが集団の掟である。
だが一人なら、この類の心配は一切不要なのだ。
…筆者、透佳(スミカ)
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