「どうせ教授に質問しにいくのなら、一人の方が有利」という話を先ほどした。
実は、海外留学だと全てにおいて同じことが言えるのだ。
同じレベルの留学生なら、一人で行動している方が確実に贔屓される。
これは逆の立場、つまり講師やスタッフの立場になってみれば絶対に分かる。
留学1年目で、いつも群がっているグループがあるとしよう。
ここで教授やスタッフは、
「何人もいるのだから、一回伝えれば大丈夫だな」
と考える。
誰かが聞いていなかったり英語が理解できなかったとしても、
そのグループの中で聞いていた人・理解できた人経由で伝えてもらえればいいからだ。
それに対して、留学1年目なのに颯爽と一人で行動している留学生がいたらどうだろうか。
はたからみたらすごく心配になる。
「この生徒には伝わるべき情報がしっかり伝わっているだろうか」と不安になる。
そこでつい、親身になって話をしてしまうというわけだ。
私の経験上間違いなく言えるのは、
ネイティブは日本人に向けて話す場合
全体に向けて話すより、一人に向けて話す方が分かりやすく話す。
少なくともアメリカ人の教授は日本とは真逆で
「できる人に合わせる」という発想があるから、
集団相手にはどうしても話すスピード・内容がレベルアップしてしまうのだ。
それに対して、聞く相手が一人であれば
その一人が理解できるように話さなければコミュニケーションの意味がないから
自ずと話すスピード・内容は噛み砕いた、平易なものになる。
私自身、留学生の頃にはこの「一人の特権」を大いに利用させてもらった。
私が少し寂しそうな様子をしながら
「今回習ったことは、日本のそれとは少し違うんです」
「アメリカでの勝手をもう少し詳しく教えてくれませんか」
と言おうものなら、向こうだって無視するわけにはいかない。
ましてや私の場合ミシシッピだから、
私が孤独な留学生であることぐらい見ればすぐに分かる。
こうやって、
「アメリカではね」
「これはつまりこういうことでね」
というより深くて分かりやすい説明を引き出していたのだ。
もう一つの例として、自分で言うのもなんだが
私は現地のカフェテリア(大学付属の食堂)のスタッフに死ぬほど贔屓された。
「こういうことってできるんですか」
「これありますか」
と聞けば全員分かりやすく誘導してくれたし、
全員私に親しみやすく接してくれるし
その内の一人に至っては朝食の時間帯に顔を見るだけで
「おはよう!」「盛り付けはいつものでいい?」と迎えてくれた。
(余談だが私はこういう場所では一度決めた同じものしか食べない習慣がある)
一つ間違いなく言えることとして、
留学生なのに一人で行動すると、こうやってピンポイントで顔と名前を覚えてもらえる。
留学生だからと群がって行動すると、「あのグループ」と全体で覚えられる。
どちらがより得するかを考えて、私は前者を選んだというだけの話だ。
…筆者、透佳(スミカ)
コメント