この連載では、海外留学における孤独の素晴らしさについて述べていく。
だが一つ注意しなくてはならないのは、
留学は放っておくと必ず群れてしまうような仕組みになっているということだ。
「知り合いや日本人がいない留学先を選べばいいのでは?」
というのは、甘い。
私自身、南ミシシッピ大学という
日本人どころかアジア人すら希少な場所で一人留学していた。
何の繋がりもないし、何も起こらないと普通思うだろう。
だが実際にはそうではなかったのだ。
日本人留学生ということで手続きやら何やらで
学内の「留学生課」のオフィスに入る機会が多くなるのだが、
留学生課のスタッフが
「慣れない地で大変でしょう」
と100%好意で・お節介で人を紹介してくれることが本当に多かったのだ。
確実に合計2桁はいた。
オリエンテーションということで付き合ってくれる生徒。
「留学生の上級生」ということでメンターとして繋がってくれる生徒。
またはそれらを経由せずに、「日本人だから」ということで声をかけてくれる生徒。
私の場合にもそれぞれ複数人いた。
そして最高に悪い言い方をすると、
その方々が定期的に連絡を取ってくるのも、
コミュニティやパーティー・クラブや団体等を紹介してくるのも
私にとっては極めて迷惑で鬱陶しかった。
留学生クラブ。
編入生クラブ。
留学生交流会。
成績優秀者のコミュニティ。
(南ミシシッピ大学には多数の学生寮があるが、「成績優秀者かつ何かしらの条件を満たした人たちだけが共同で住める特別な寮」のようなものも複数あった)
そして日本にもあるようなサークル・同好会の類。
そういった団体・機会はどの大学にも探せばいくらでもある。
群れようと思えばいくらでも群れることができるのだ。
もちろん、
「積極的に他人と交流したい」という留学生の方が
多数決でいえば圧倒的に多いから、
そういった生徒にとってはこれ以上ない頼もしい歓迎である。
これらが「心強い」と感じる留学生にとってはまさに天国である。
だが、私のように「最低限でいいから後は放っておいてくれ」
という思想のある人間にとってこれは地獄である。
日本人がゼロの環境ですら、
「留学生」ということで自動的にコミュニティに吸い込まれるようになっているのだ。
これで仮に日本人がいたら、もう分かるだろう。
初対面の人間と「日本人だから」ということで勝手に交流が始まり、
連絡先は交換する流れになり、
その後の留学生活全てにおいてその日本人はついてまわる。
「日本人コミュニティ」なんてものがあったらもう大変だ。
よほどのことがない限りは入ることになるし、
一回入ったらもう抜けられないようになっている。
だが、ここで「孤独」のうまみを最大限享受するためには
これらコミュニティとの付き合いは最低限に抑えておく必要がある。
もしこれを読んで
「ちょっと何を言っているか分からない」
という人がいたら私とは思想が合わないから、
どうかこの連載を放り投げて群れる人生を謳歌してもらいたい。
私は群れない方の人生を選んだというだけの話であり、
その恩恵についてこれからくまなく書いていくつもりだ。
…筆者、透佳(スミカ)
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