以前、某所で後輩だった甲から
乙はこんな質問をぶつけられたことがある。
「どうして、『遅いけど丁寧な仕事』はダメなんですか?
ゆっくりでもいい仕事はたくさんあるし、
むしろ時間をかけるからこそ良いものができるんじゃないんですか」
「じゃあ甲、
デカルト座標…x軸とy軸で例えてみようか」
乙は甲の目の前で
手元のノートに以下の表を書き出した。
仕事が…
速くて雑 速くて丁寧 遅くて雑 遅くて丁寧 縦軸(y)が仕事のスピード、横軸(x)が仕事の丁寧さ
「じゃあ、まず
この中で一番良いのは…簡単だよね」
「まあ、『速くて丁寧』ですよね」
「そう。一番悪いのは?」
「『遅くて雑』ですね」
互いに象限を指差しながら会話が進む。
「ここで問題なのは、
一番の理想は『速くて丁寧』だとして
二番目にいいのはどちらなのって話よ」
「えっ…『遅くても丁寧』じゃないんですか」
「いや、それを選ぶのが多数決としては正解なんだけど
本質としては間違いなの」
「えっ、どうしてですか?」
甲が若干驚いたような目で乙を見つめる。
「そもそも、どうして仕事は『遅く』なるの?」
「そりゃあまあ…例えば
段取りに慣れてないとか、
他の人の動かし方が悪いだとか
単に自分が動くのが遅いだとか
手の抜きどころが分かってないだとか」
「そう、それ。
『手の抜きどころが分かってない』ってのがかなり重要」
今回の乙はじっくり解説を入れるようだ。
「それはどういった意味でしょうか」
「甲は…
『最初から最後までずっと全身全霊頑張らないといけない仕事』
はこの世に存在すると思う?」
「しまし『た』けど、今はないですね。
そういう仕事はわざわざ人間がやるより
機械にやらせた方が確実ですからね」
「そうだね。だから基本的に、
『最初から最後までずっと集中力マックス』の仕事を
人間がやることは基本ない。
てことは、波があるってことだよね」
「ええ。
特に集中するべき本質と…
比較的流していい枝葉の部分ですか」
やはり、こういう関係になると
使う語彙の性質も似通ってくるものらしい。
「そう。だから本来は、
この『集中するべき部分』だけに集中を込めて
あとはサラッと流せば『速くて丁寧』が生まれる。
それが出来ないってことは…」
「あっ!」
ここで甲が一つ感づく。
「抑えるべき本質が分かってないと、
全部頑張ろうとして時間はかかるし
その上本質のところで疲れちゃうから
質まで下がっちゃう…ってことですか」
「その通り」
「でも…乙さんの言う通りだと、
速ければ『雑』でいい、って理論になっちゃうような」
「それはね」
乙の目つきが鋭くなる。
「本質をちゃんと抑えた仕事が、『雑』になると思う?」
「…ならないですね」
「うん。だから、本来スピードと質は比例するんだよね。
速ければ質も良いし、遅ければ質も悪くなる。
反比例するのは、本質を抑えずに
スピードそれ自体を目的にしてやっつけで仕事をするから」
「確かに、
『速く終わらせること』だけを考えてしまうと
そりゃあやっつけで適当な仕事になりますよね…」
手段と目的を履き違えてはいけない、というのは
この世の全てにおいて共通する摂理である。
「じゃあ、甲は将来成功するだろうから
期待を込めて少し厳しいことも言っておこうか」
「お願いします」
「これは言っちゃアレなんだろうけど、
素人の『遅い』とプロの『遅い』は違う。
プロの遅いは素人から見たら「え!?それで遅いの!?」ってレベルだけど
素人の遅いはホントに遅い。ただのノロマ」
「はあ…」
「仕事において、
ただのノロマが応援されると思う?」
スピードアップこそが運の秘訣、と解釈した甲だった。
それは決して間違ってはいない。
…筆者、スミカ(Rick)
【追伸】
私の師匠が以前こんなことを言っていた。
「頂点と底辺は、表面上は全く同じに見える」
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