オリジナル。

大前提として、もう現代に完全オリジナルというものは存在しない。

この世の全ては過去の何かしらのパクリ・再生産・焼き直し(それらの言葉がキツイならオマージュ)である。

西洋哲学ですら「プラトン以後の哲学者は全てプラトンへの注釈」と言われる始末なのに、当代きっての天才でもない人間が堂々とオリジナルを唱えるのは厚顔無恥の極みである。

【追伸】
100%、全く何も参考にせずに何かを生み出せる人間は天才中の天才だけだ。

はたしてそんな人間が今の人類の中で何%いるか。

少なくともサラリーマンをやっているようなヤツにそんな人間がいるわけないではないか。

何かを自ら生み出せる人間がなぜいちいち残り大勢の何も生み出せない人間を養わなければならないのか。

(一切の綺麗事を排除して述べると無能を食わせる仕組みがサラリーマンである)

そういう人はフリーランスとして孤高の天才になるか、

大企業のトップとして文字通り世界を動かすに限る。

(もしくは教育者としてなら文科省という手もある)

もちろん、私がこうしてずっとブログとして綴ってきていることも100%元ネタがある。

誰かのアイデアのパクリであり、再生産であり、焼き直しである。

多少視点をずらしたり切り口を変えたりと工夫はしているつもりだが、

アイデアそれ自体については私がゼロから生み出したものなど断じてないと胸を張って言える。

ここから先はさらに爆弾発言になるが、私が知る限り

「この考えは私が発祥です!」

という人に限ってほぼ確実に出典・ソース・情報源があった。

「あぁ、要はあの人と言っていることは同じだな」

なんてことはいくらでもあった。

本当に何もないところから生み出している人など皆無だった。

そのふりをして傲慢になっている人間だったらいくらでもいたが。

(これは一ライターとして私自身も戒めにしないといけない部分でもある)

【追伸の追伸】
例えばなんだけど、

「be動詞は=(イコール)という意味があります!これは私が考えました!」

と私が言ったとして、

英語教育・英語指導に詳しい人間ならそんなのオリジナルでないことぐらい一発で分かる。

究極、お客様は騙せるかもしれないが、同業のプロは騙せない。

これはあまり大きな声では言えないが、

やたら大きな声でオリジナルを吹聴する人間は純度100%のパクリであることが多い。

他ならぬ自分自身がそれを一番自覚しているからこそ、

その自身のなさの裏返しでついオリジナルを気取ってしまうのだ。

本当のオリジナルは「自分がオリジナルです」なんてわざわざ言わない。

それは自分から言うものではなく、他人から勝手に言われることだからだ。

個性的な人が自分からいちいち「私は個性的」と言わないのと同じである。

 

…筆者、透佳(スミカ)

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