スポーツは、人生のどこかで本気で打ち込んでおくと貴重な経験になります。
「世の中には、努力だけではどうしようもないこともある」
ということを身をもって学ぶことができるからです。
100m走が一番分かりやすい例でしょう。
限界まで努力すれば、誰だって必ず9秒58で走れるようになるのでしょうか。
そうではないことぐらい、私がわざわざここで書かなくともご存知のはずです。
才能がモロに出てしまうのです。
プロアスリートであれば、全員努力は当たり前のようにしています。
野球選手は全員「オレは誰よりも沢山バットを振っている」と思っています。
努力は当たり前です。
その上で才能がなければお話にならないのが、プロスポーツの世界です。
才能がなければ、いくら努力しても絶対に勝つことはできません。
勝てないということは、プロとしてやっていくことはとてもできません。
ただ単に「好きである」というだけではなれない職業なのです。
だからこそ、「将来憧れの職業」からプロスポーツ選手が消えた時代はありません。
それは「なろうと思ってなれるものではない」ということが分かっているからです。
それに比べて勉強が素晴らしいのは、求められる才能の割合が少ないことです。
もちろん勉強に才能は必要ないとは言いません。
ある程度は必要です。
ですが、プロスポーツ選手になるためのそれと比べたら子供のようなものです。
スポーツは100%才能です。
対して、こうして教育業界に携わってきた限りの私なりの答えを出すと
勉強は50%才能です。
残りの50%は努力でどうにかなります。
逆に言えば、勉強でさえ努力だけではどうにかならないことはあります。
勉強しまくったからといって、誰でも絶対に東大に入れるわけではありません。
勉強しまくった上でその才覚がある人にしか、あの門戸は開かれません。
ただ、プロスポーツと違うのは必ずしもトップレベルである必要はないという点です。
日本に大学は東大だけではありません。
それぞれの大学にそれぞれの魅力があります。
一定以上の水準を越えれば、トップでなくとも誰でも「大卒」が名乗れます。
最低限の才能、それと努力だけでどうにかなるレベルの大学も世の中には沢山あります。
努力でどうにかなるのが勉強コースなのです。
スポーツコースでは、絶対にこうはいきません。
この話を読んだ上で、
「いえ、私には才能があるのでスポーツコースを選びます」
と一切迷わないのであればスポーツコースを選ぶべきです。
少しでも迷ったのであれば、やめておくべきです。
「私、才能あるんでしょうか?」と人に聞く人は、100%才能がありません。
才能がある人はそんなことを人に聞かないからです。
そしてこれは問題発言かもしれませんが、
才能がないと自分でも分かっているのにスポーツコースを選ぼうとしないことです。
もしそうしてしまうと、
「中途半端にスポーツはできるが、頭はからっきし」な人間が生まれます。
これはこの世で最も厄介な生物の一つです。
スポーツはプロレベルではない上に、一般就職するには頭の出来が悪すぎます。
これではとても食べていくことができません。
一度こうなってしまったらもう手遅れです。
だったら、最初からスポーツは片手間程度に抑えておいて
「そこそこの頭」を本命として目指しておいた方が幸せです。
…筆者、透佳(スミカ)
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