勉強というのは基本的に、その場の雰囲気を良くする行為です。
これまで知らなかったことを学び、
これまでできなかったことをできるようになるというのは素晴らしいことです。
その場の空気が程よく引き締まって、上げの気分になります。
これは集団授業であれば特に色濃く出ます。
進学塾によく設置されている「最上位クラス」「最難関クラス」の何が良いかといえば、空気です。
程よくピリッとした、でも殺伐とはしていない、適度な緊張感と刺激に包まれています。
あの独特な空気の中で勉強することが当たり前になると、大抵のことには動じなくなります。
「この空気の中で勉強し続けるために、これからも頑張ろう」とやる気をもらえます。
これは集団塾の特徴の一つでもあります。
ですが、こういった場所に限らず複数人が集まって勉強する場所には一つの「隙」があります。
集まってきた人の中に、ネガティヴな発言をする人がいるのです。
「もう疲れた」
「宿題なんてやりたくない」
「勉強なんて何のためにやるの?」
こういった言葉を発する生徒は、全力で排除する必要があります。
なぜならその場にいる全員の空気を下げるからです。
言葉を発している本人だけが下がるならともかく、周り全員を巻き添えにするのです。
ちなみにこういう人のことを「さげまん」と呼びます。
さげとは「下げ」のことです。
まんとは「間」、つまりその人たちの間の空気のことです。
その場の空気を下げモードにしてしまうのがさげまんなのです。
さげまんの特徴は、まさか自分がさげまんであるとは思っていないことです。
勉強ができないのは、全て分かりづらい教材や内容や講師が悪いと思っています。
「自分にも原因がある」という発想がそもそもありません。
こういう人と一緒の空間で勉強すると、その場にいる全員の空気が悪くなります。
仮にその場の99%の人が普通で、1%がさげまんだとどうなるでしょうか。
大多数派の普通の人によって、超少数派のさげまんが浄化されるのではありません。
超少数派のさげまんによって、残り全員の多数派の人が汚染されるのです。
いくら健全な食事を摂っていても、猛毒を一滴垂らしただけで死に至るのと同じです。
それだけさげまんの力は強烈なのです。
今からさげまんを浄化するのは無理です。
そうなると残された手段は一つしかありません。
自分からサッと立ち去ることです。
同じ塾の生徒がさげまんばかりになったら、塾を変えることです。
普段仲良くしている生徒がさげまんばかりになったら、人脈を一層することです。
もし家族の中にさげまんがいることが判明したら、あらゆる言い訳を乗り越えて距離を置くことです。
どんなに優秀だろうと、どんなに仲良しであろうと、どんなに近親者であろうと関係ありません。
さげまんと関わって空気が下がるのは、さげまんのせいではありません。
さげまんと少しでも同じ空間を共有したこちらの責任なのです。
勉強という上向きの行為をしている空間に、下向きの行為をする生物は入れてはいけないのです。
新幹線のグリーン席に、大人しくできない小さな子供を連れて行ってはいけないのと同じです。
…筆者、透佳(スミカ)
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