自分ができても。

塾講師に限らず何かを教える仕事・職業の人が絶対に忘れてはいけないのは、自分だけができても意味がないということだ。

例えば英語講師なら、もちろん自分自身の英語が下手クソでは意味がないがでは講師自身の英語力さえ高ければ十分かと言われればそうでもない。

あくまでも自分が頑張るのではなく、他人に頑張って習得してもらわなければならないのだ。

【追伸】
もちろん「英語講師として最低限これくらいの英語力はあるべきだよね」というのはある。

だがその一線さえ越えてしまえば、

あとは教える側の英語力ではなく教わる側の英語力をどこまで伸ばせるかの勝負になる。

これはスポーツのコーチで考えると分かりやすい。

もちろん自身が選手として優れているならばそれに越したことはないが、

では名選手だった人が無条件でそのまま名コーチかと言われればそうでもない。

むしろ、選手としてはお世辞にも一流ではなかった人が

コーチとしては文句なしの一流になる例は枚挙に遑がない。

(「名選手、名監督にあらず」も同じく枚挙に遑がない)

理由は簡単で、その方が教わる側の気持ちが理解できるからだ。

超一流の選手というのは自他ともに認める超・天才であることが多いから、

自分ができたことが他の選手にもそのままできるとは限らない。

否、できないことの方が多いだろう。

そこで

「どうしてこんな簡単なこともできないんだろう」

と本気で思ってしまう。

これが概して超一流の選手がコーチに向かない理由である。

さて講師の話だったが、これも概要は同じだ。

英語という科目に一切苦労せずにスッと入試を通過したタイプの人は、

いざ自分が教える側になると

「どうしてこんな簡単なこともできないんだろう」

「だって答えは全部書いてあるし、教えてもいるのに」

「ふつうは一回聞いたらもう忘れないものじゃないの」

と本気で思ってしまう。

生徒が全員バカに見えてくるのだ(自身が生徒だった時と比べたら、という意味では合っているが)。

だがそれでは講師は務まらない。

あくまでもあなたには及ばないスペックである生徒を

いかにどうにかこうにかしてあなたに近い水準にまで持ってくるかについて

知恵を絞るのが講師という仕事だからだ。

それができないなら一生選手でいた方がいい。

例えば通訳・翻訳など、自らが第一線で英語を使い続ける仕事を選んだ方がいい。

後進は育てられない可能性が極めて高くなるが。

 

…筆者、透佳(スミカ)

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