「就活でお祈りメールをもらってもご縁がなかったというだけで、人格まで否定されたわけではない」というのはあくまでも建前だ。
本当は人格も見事に否定している。
「そこまでしてお前と同じ空間で呼吸しながら働きたくない」という事実を突きつけることのどこが逆に人格否定ではないのだろうか。
【追伸】
人は誰でも好きな人と仕事がしたい。
「おう!内容はどうでもいいからとにかく一緒に仕事をしよう」
という人に同僚として来て欲しいのだ。
好きな相手とならどんな仕事でも楽しいからだ。
そしてその方が成功しやすいし、成功しなくても後が続く。
これに対して嫌いな人間だったらどうか。
どんなに仕事内容が素晴らしくてもこれは苦痛だ。
なんせ嫌いな人間だからだ。
就職活動においては、書類で落ちるならまだ納得できる。
「能力不足だったんだな」で終わるからだ。
だが面接まで進んでそこで落ちるともう最悪である。
実際に会ってみて、「お前と一緒に働くのは無理」と烙印を押されたということだ。
「お前は無理」という烙印を多方面から押しつけられる経験が味わえる。
そういう意味では社会の儀式・洗礼として、就活は面白いのかもしれない。
そういう人の本音に触れることができるから。
…筆者、透佳(スミカ)
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