さて、このチャプターは教える側のスタンスについて
その実情などに触れていくものにしようと思う。
教える側はもちろん、教わる側にとっても
学習塾の講師が生徒をどのように教えているか・
どのように教えるべきかを知ることは決して無駄にはならないはずだ。
講師の教え方を話すにおいてまず大切なことは、
塾講師として「授業が上手い」というのは当たり前であるということだ。
ここで先述の英語講師・関正生先生のエピソードをもう一つ紹介したい。
彼は若かりし頃、とある先輩講師の個人塾で従事していたのだが
「この2つしか教わっていない」といううちの一つが
この「授業はできて当たり前」だということだった。
野球の下手な野球選手などいない。
小説を書くのが下手な小説家などいない。
話すのが下手なアナウンサーなどいない。
それと全く同じように、
授業が下手な塾講師は塾講師である資格がない。
どうして一見こんなに当たり前のことを強調しているかといえば、
確率で言えば塾講師の2人に1人は授業が下手クソだからである。
「上手い」「下手」の定義は様々あるだろうが、
ここでは「分かりやすく、かつ結果の出る授業ができること」を定義としよう。
説明が分かりやすく、しかもそれで点が取れるのであれば上手い授業だ。
説明が分かりづらく、その上それで点が取れないのであれば下手な授業だ。
以上に異論はないだろう。
その前提のもとで話すと、
塾講師の約半数は教科書の内容をそのまま復唱することが授業だと思っている。
だが前述の通り、教科書は分かりづらいのが当たり前だ。
本来はそれを噛み砕かないとお話にならないのに、その発想がない。
説明の段階で分かりづらいということは、それを聞く生徒はもっとこんがらがる。
よってその生徒の点数や成績も下がっていくということだ。
塾業界には「当たり」と「ハズレ」がいるという話はこれまでもしてきた。
そこでもう一つ残酷な事実を申し上げると、
「当たり」の講師は「改善」という発想があるが、
「ハズレ」の講師は「改善」という発想がない。
つまり、当たりの講師は経験を積むごとにどんどん授業が上手くなっていくが
ハズレの講師はどれだけ経験を積んでも相変わらず下手クソのままだ。
否、そういう講師に限って
「この説明をよく聞いて理解しない生徒が悪い」
などと考え始めるから、むしろ当初より輪をかけて下手になっていくのだ。
ここだけの話、授業の上手い下手は最初から決まっているから
塾を選ぶ生徒や親御さんの立場からすれば
「この人の説明なら大丈夫だな」と安心できる講師を探して選ばなければならない。
全ての塾講師が安心できるわけではないからだ。
現時点で上手い講師を見つけることができれば、ひとまず一安心である。
そしてタイトルの話に戻ると、
「上手いのは当たり前」ということは「上手くて初めて0点」という意味である。
(念の為、下手なのは0点未満ということになる)
つまり、上手くてしかも何か別の強みがなければ生き残れないのだ。
日本一分かりやすい。
すぐに理解してすぐに使える。
誰でも点数が取れる。
子供たち受けが抜群に良い人柄。
一回見たら・聞いたら忘れられない。
訴求の方法は様々だろうが、
「授業が上手い上で、一本の軸がある」と考えていただければ間違いない。
ただ上手いだけの授業ならネット動画にいくらでも溢れているから、
リアル塾はこれらのポイントを武器にして競争を勝ち抜いているのだ。
改めて、塾講師を見定める際の基準は2つだ。
一つ、現時点で授業が下手な講師は選択肢から外して良い。
二つ、上手い上でまた別の強みのある講師を選ぶこと。
…筆者、透佳(スミカ)
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