「志望校それ自体に自慢する・自慢できる要素はない」
というのは先ほど申し上げた通りだ。
だが、それでは志望校を持つ意味が完全にゼロかといえばそうではない。
むしろ大いに意味がある。
志望校を周りに言いふらすか否かは別問題として、
志望校を決めるのは早ければ早い方がいい。
もちろん一旦決めたものを後から変更する分には構わない。
志望校という目標を決めることによって生じる
目指すべきものがある、という学習意欲向上の効果が決して無視できないのだ。
「ここにどうしても行きたくて、そのためにはこれをする必要がある」
という具体的な道標を持っている生徒はやはり強いからだ。
「〇〇高校に行きたいです!」
と言って後はふんぞり返っているだけでは大言壮語になってしまうが、
「〇〇高校に行く」
と胸に秘めて日々具体的になすべきことをなしている子は見込みがある。
それだけ目標設定の力は偉大なのだ。
学習塾で勤務していて肌で感じるのは、
特にこれ!という夢や目標もなく
「なんとなく」で言われたままに勉強している子が少なくない
ということだ。
ダラダラとやっている、という訳ではないのだが
そこに意志・意図・理由が感じられないと言えば伝わるだろうか。
確かに「なんとなく」で勉強を続けられることも一つの才能ではある。
大好きではないというほどのことを
肩の力を抜いて淡々と継続できることはそれはそれで素晴らしい。
だが、
「ここに行く!」と決心した上でそのための具体的行動を積み重ねている人には勝てない。
デカルトの『困難を分割せよ』ではないが、
一定の目的を持って計画的・体系的に学習をしている人と
その場その場でのらりくらりと学習をしている人とでは
最終的な結果がどうしても違ってくる。
より率直に申し上げると、
自他ともに天才と認めるようなタイプの子は
ある程度のらりくらりと勉強を進めても決めるべきところはビシっと決めていたが、
天才でもない子がその真似をすると悲惨な結果に終わっていた。
そうであればここは一つ、天才の真似はせずに
志望校という目標・一基準を定めておくべきである。
そうすると、その後の全ての行動に理由・根拠を宿らせることができる。
「こうだからこうだ」
「こうしたいからこうだ」
という理由・根拠は学業成就には欠かせない。
ここだけの話、
「なんとしてでもここに絶対に行きたい!」
と早くから決めた人間は
いかなる方法を使ってでも泥臭く勉強できるから合格しやすい。
より厳密に言えば、私が見てきた限り
「オレは〇〇にしか興味ありません」
と堂々と言いふらす生徒にはロクな子がいなかったが、
「実は1年生の頃からずっと〇〇に行きたかった」
と事後報告してくれる生徒には優秀な子が多かった。
こと高校受験に関しては、不言実行の方が確率が高いようだ。
…筆者、透佳(スミカ)
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