私が塾の講師として務める中で気付かされたことがある。
それは、塾講師という仕事において「その科目への理解」は二の次だということだ。
もちろん、例えば英文法や熟語・表現諸々への専門知識が全く不要なわけではない。
だが、こうやって文を書く以上は正直に告白しなければならないが
塾講師という仕事において科目の専門知識は邪魔になることが少なくない。
例えば、中学英語の初歩であるbe動詞で考えてみよう。
私のような英語好きの英語講師はすぐに、
「be動詞っていうのは元々『イコール』っていう意味なんだよ」
「だから『I am Bob』という文章は『I = Bob』っていう意味になる」
「そもそもなんでbe動詞が3つあるかというと、昔は動詞が全部不規則変化で…」
と、かなり突っ込んだところまでいって盛り上がってしまう。
私はこれを新米講師として受けていた研修の模擬授業でドヤ顔で披露したことがある。
そして、それを生徒側として見ていた先輩講師にこう指摘された。
「そういう変な知識要らないから」
「テストや入試に実際に出そう・役に立つことだけやって」
要は必要最低限のことだけをやればそれでよろしい、と釘をさされたのだ。
もちろん私はそれで懲りることがなく、
つい調子に乗って本番の授業でもこれに近い話をしたことがある。
反応は極めて微妙だった。
そこで今度は、
「押してダメなら引いてみる」とばかりに
問題演習やテスト・入試に出なさそうな解説は全て省略して
「理屈はいいから、こう覚えればこう解けるから覚えろ」
というフォローの授業を行ってみた。
反応は上々だった。
「『なんで?』じゃなくてとにかく覚えろ!」
という教え方は私個人の好みで言うと大嫌いなのだが、
実際はそちらの方がウケが良かったのだからしょうがない。
細かい知識は要らないどころかむしろ邪魔であり、
いかにして「教科書に書いてあること」を分かりやすく噛み砕くかが全てだった。
つまりは
- 国語力
- トーク力・コミュニケーション能力
- 要約力
このあたりの方が遥かに英語講師にとっては大切だ。
私は英検準1級とTOEIC900点を取得しているが、
率直に申し上げると
英語講師としてこれは完全にオーバースペックであると感じた。
そこまで深い英語は求められないのである。
(大学受験になるとまた話は変わるのだろうが)
上記の力を組み合わせた、
「英語力はそこそこ程度だけど、話す力とまとめる力に優れていてついでに子供受けの良い人」
という講師の方が割合で言えば多かった。
「業界歴が長い人」という括りで見るとその割合は更に高まる。
これまでの経験と知識を総動員してお伝えすると、
流石に「5段階で1や2」では教えるのは厳しいが
「5段階で4」程度あれば講師として「適性がある」と見なされる。
それどころか、
「5段階で3」でも他の力が優れていれば「いける」と判断される。
より端的に申し上げれば、
「学生の頃は『ちょっと得意〜まあ普通』だった」という科目をドヤ顔で指導している講師は少なくない。
それでも十分に仕事になってしまうのだ。
「塾の先生はその科目が得意だから教えている」という幻想だけは持たない方がいいし、
塾・講師を選ぶ際もその前提のもとで選ぶことだ。
…筆者、透佳(スミカ)
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