今現在の教育機関においては、
善悪という基準を持ち込んでしまうと
テスト中のカンニングは100%悪だ。
少なくとも、
このブログの読者には
そんなリスクは冒してほしくない。
だが、世の中には
単純な善悪を超えた何かがある…と
テスト期間を迎える度に思い出す。
大学在学中、
とある授業時間の枠で
行われた筆記テストだっただろうか。
当然、皆の机の上に出ているのは
テストと答案用紙・筆記用具のみだ。
だがどうだろう。
自分の分のテストを出し終えてふと振り返ってみると、
後ろの人がさも当たり前かのように
答案が書かれたノートやスマホを
ガッツリ見ながらテストを進めているではないか。
見ているどころか、
確か小論文のテストだったから
完全に書き写している状態だった。
今でも強烈に覚えているのだが、
実はクラスの中でその人だけ
Open-book(何を見てもいい)形式の
テストを受けていたのではないか…というほど
あまりにも威風堂々としたカンニングだった。
ここまで堂々としていれば、
カンニングも許せてしまうのではないだろうか。
そんなことはないか。
筆者、スミカ(Rick)
【追伸1】
恐らく、あの人は
その度胸と演技力を別のことに向ければ
かなりいいところまで行けるはずだ。
【追伸2】
社会人として考えるのなら一理あるのかな。
既存の模範解答を暗記するのではなく
模範解答を自分で生み出すのが仕事だからね。
社会人ならだけど。
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