スミカさんのブログを見ていると、
「留学生は孤独であるべきもの」という
通常の考え方とは真逆の考えをされているのですね。
ブログでこう書かれている以上は
実際に一人で日頃過ごされているものだと思いますが、
実際のところどうなのでしょうか。
留学先で友達に囲まれる生活と比べて
特に違うところなどがあれば教えてください。(アメリカ在住・学生・Kさん・女性・20歳)
ハワイではいつでもどこでも群れに群れ、
ミシシッピでは孤独を満喫するという
真逆の生活をそれぞれ過ごしてきた私からすると、
もう孤独は本当にありがたい状態です。
どうでもいい人と会う必要が無くなったのが
本当に大きいです。
留学先でありがちなのが、
同じ日本人が現地にいた場合
その人が好きか嫌いかに関わらず
(少なくとも表面上は)ダラダラと交友を持つ人が
本当に多いということです。
先日のボスキャリでボストンを訪れた際に
とある留学生と会って話をしたのですが、その方は
同じ大学にもう一人いる日本人留学生に対する
「アイツ本当にヤバい」等々の
愚痴・悪口・陰口を私にぐだぐだ漏らしていました。
ですが不思議なことに、
その人と絶交をすることはなく
ダラダラと交友を続けていました。
ボスキャリの会場で
その方達二人と同時にお会いした際、
なんだかんだ二人固まって
仲良さそうに話していたのは実に滑稽でした。
元々合うはずもない相性同士の人間・
元々人生で出会わないはずだった人間が、
「同じ日本人留学生だから」ということで
お友達?としての交友が始まってしまうのです。
Kさんはこれを
素敵なことだと思われるでしょうか。
そんなことはないでしょう。
こんなに面倒なことはありません。
確かに、留学先において
日本人コミュニティを作っておいて
定期的な情報交換をしておくことの大切さは
私も重々理解していますし、
現にハワイ短大の頃は毎日のようにやっていました。
ですが、「日本人だから」というだけで
どうでもいい人間と付き合うのは苦痛です。
私がミシシッピに編入学を決めたのは、
これが理由の一つでもあります。
わざわざ海外留学しているのに、
日本人同士で群がって
コミュニティという名の村社会を形成するのは
まさに愚の骨頂です。
不思議なのは、
村社会を形成している本人たちは
それが一番心地よいということです。
それはそれで理解はしますが、
私はそうではないというだけです。
私は別に友達など要らぬ、と
言っている訳ではありません。
これまでに私も何人かは
「友達」と呼べる存在ができました。
ですが、友達・親友として互いに
寿命の一部たる時間とエネルギーを割いて
付き合っていく以上は、
それなりに価値のあるものでなければなりません。
海外留学なら尚更です。
なのに、
「同じ日本人だから」という日本人留学生や
「留学生だから」と近寄ってくる現地民には
人間としてハズレの確率が高いのです。
これが下手に留学先で
友達作りに奔走してはいけない理由です。
その前に、まず
「友達を作ろう」という発想がいけません。
友達はわざわざ作るモノではなく、
勝手に出来てしまうモノです。
友情は目的ではなく結果です。
互いに孤独になすべきことをなす中で、
ふと巡り会ってしまうのが本当の友情です。
こんなことは映画で散々教わりました。
このブログも良い例でしょう。
これだけ本音ベースかつ
その辺の自称留学ブログ(日記?)には
書かれていない・書けないような内容も
平気でガンガン綴っていますから、
やはり見ている人は見てくれています。
「よく言ってくれた!」というメールも、
「お前バカか」というメールも
これまで数多く受け取ってきました。
幸いなことにこのブログを通じて
何人の方とも繋がってきましたが、
私の方から「友達になってくれ」なんて
言ったことはただの一度もありません。
また逆に、村社会などどこ吹く風で
独りコツコツと頑張っている留学生を見ると、
私も応援したくなります。
パラドックス的な話ですが、
本当の友情を見つける・保つコツは
友情を第一目的としないことです。
日頃成すべきことを成して、
初めて運命の出会いはやってきます。
これは海外留学でも全く同様です。
私の尊敬する某文筆家の引用にはなりますが、
本当に価値ある友達・親友と巡り会う条件は
- お互いに実力があること
- お互いに孤独であること
以上二つのみです。
回答、スミカ(Rick)
【追伸】
「友達を作るための海外留学」というのも、
ひょっとしたら楽しいのかもしれませんね。
ですが、私の経験上本当に魅力的な人は
わざわざ自分から友達作りには励みません。
そうせずとも自然に引き合うからです。
友達・友情関係において、量と質は反比例します。
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