こうして孤独のありがたみについて書き連ねるようになった私だが、
以前は留学生として群れに群れていた時期があった。
小規模の学校かつ日本人が多かったということもあるのだろう、
日本人の繋がりが一大コミュニティになっていた。
かくいう私も図書館でチューターをやっていたり
スポーツのクラブで名ばかり部長をやっていたりしたから、
その関係で常に誰かと一緒に行動していた。
朝食で群がり、授業で群がり、ランチで群がり、放課後に群がり、夕食で群がる。
これで休日にもいつものメンバーで群がっていた。
今振り返って思うのは、ここまで群がって生活していると
ふと一人になった時にとてつもない不安感に襲われるのだ。
当時の私にはまだ「一人で自分を磨く」という発想がなかったから、
ことあるごとに知り合いに連絡をして寂しさを紛らわせていた。
一人にならざるを得なくなった時はいつもいてもたってもいられなくなっていたものだ。
ミシシッピに渡った当初もそれは同じで、不安で不安でたまらなかった。
だが、その後「孤独の留学」を自ら続ける中で直感したことがある。
あの時一生分群れたからこそ、今後何があっても一人を貫くことができるのではないか。
もう既に散々群れたから、これ以上群れるのではなく
一人で生きることによって生まれた時間を自分一人のためだけに使おうと思えた。
「孤独」側の世界も知りたくなったのだ。
結果はビンゴだった。
これは特に若い学生に言っておきたいが、
寂しさを紛らわせるためだけに群がっていても、後には何も残らない。
その上今日の寂しさはクリアしても明日にはまた別の寂しさがやってくるから、キリがない。
何も実益がない割には極端に高い依存性・長期性があるのが「寂しい」という感情なのだ。
そしてこれは私自身の反省も含むのだが、
寂しさを紛らわせるために連絡をされた側は「また付き合わされるのか」と思うし、
付き合わせる側はそれに対して感謝がないから最終的には人が離れていく。
いつも群れたがる人というのは、付き合わされる側の事情を考えることができない。
だから付き合ってくれることに感謝できないどころか、
「どうして一緒にいてくれないの!」と逆ギレする始末だ。
こうして人が離れていくからますます寂しくなって、ますます群れようとするようになる。
ますます群れようとするからますます人の時間を奪って、ますます嫌われていく。
こうして最終的には孤立無援になってしまう。
この負のスパイラルから抜け出すためには、発想を変えよう。
「孤独になってしまった」と考えるのではなく、「一人での時間とお金を得た」と考えるのだ。
宿題をこなす。
リスニング力アップなど、英語学習の時間に充てる。
YouTubeや映画・ドラマ・その他ネット動画を見る。
本を読む。
ブログや日記を書く。
一人でもできることはいくらでもある。
群れることを第一に考えて感謝ができなくて何の成長もない人と、
一人で生きることを第一に考えて感謝ができて日々成長している人。
あなたはどちらの人と友達になりたいだろうか。
…筆者、透佳(スミカ)
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