特にアメリカ留学にはパーティーが多いという話は先ほどした。
私は群れを避けて一人で壁の花になりながら、他の参加者の人間観察をするのが好きだった。
そこで私が気付かされたことが一つある。
身も蓋もない言い方をしてしまうと、
「この人はやたらハイテンションだな」
「こんなにうるさい人ウチにいたっけ」
という人に限って揃いも揃って成績不振者だったということだ。
マックスで中の中だった。
必要以上に羽目を外さず、上品に楽しんでいるのは揃いも揃って成績優秀者だった。
もうこれには本当に例外がなかった。
一見上品そうに見えるグループでも、
何かの拍子に奇声を出したり周りに気を遣えなくなったりしていたらそれは不振者だ。
一見ドンチャン騒ぎしているグループでも、
周りにはしっかり気を遣って終わり際には一緒に掃除なんてしてしまうような人たちは優秀者だ。
パーティーという華やかな場所だからこそ、
その人が実はどういう人なのかということが嫌でも目に入ってきた。
これはパーティーに一度以上出席したことのある人は分かると思うが、
こういう場所での立ち居振る舞いはその人の印象として非常に強く残る。
普段はあんなに大人しそうな人でも、
「でもパーティーではあんなに騒いでいたから…」と少し引いてしまう。
普段はあんなに活発的に見える人でも、
「でもパーティーではあんなに理性的だった」と少し惹かれてしまう。
普段見せている振る舞いではなく、パーティーで見せた振る舞いこそが本物なのだ。
私は性格が悪いから、それ以来飲み会やパーティーでタガが外れたように騒ぐ連中を見ると
「可哀想に…普段は虐げられているんだろうな…」
と哀れみの目を向けるようになった。
そして、パーティーにおける成績不振者と優秀者にはもう一つの法則があった。
それは最後まで居続けている人ほど成績が悪いということだ。
撤収の早さとその人の成績はほぼ比例していた。
(今だから言える話をすると、私は当時チューターの立場を利用して
「この人の書くエッセイのレベルはこれくらいだな(=つまりこれくらいの成績だな)」というのをほぼ把握していた)
では優秀者はさっさといなくなってしまうのかと言われれば、その通りなのだ。
下手をすると出し物(歌やダンス等そのパーティーのプログラム)が全部終わる前に帰ってしまう。
全部終わる前どころか、冒頭で乾杯を済ませた瞬間に帰った豪傑もいた。
後日、彼ら・彼女らにこっそり事情を聞いてみるとこう教えてくれた。
「皆がああやって騒いでいる最中に少しでも宿題をやっておきたい」
「せっかくの休日だから、少しでもゆったりして体力を回復させておきたい」
確かに、宿題をこなしたり英気を養ったりするために休日があるのに
パーティーに体力を必要以上に吸い取られているようでは意味がない。
(パーティーで騒いでいた連中はもう次の日の午後ぐらいまで動けなかった)
そしてもう一つ共通していたのは、
そもそもパーティーというものが好きではなかったということだ。
気の知れた数人前後で密室で集まるならともかく、
百人前後もいるような場所だと萎縮して疲れてしまうということだった。
それで疲れてしまうぐらいだったら、さっさと帰って
宿題をするなり寝るなり自分のやりたいことをやるというのが持論だった。
私がますます「パーティー早帰り」に精を出すようになったのは言うまでもない。
…筆者、透佳(スミカ)
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