Friend:現地の「日本人会」に頼りすぎると、バイタリティが大きく下がる。

孤独の留学

大分類として、海外留学とは「飛び出す」ためにある。

これまでの日本での人間関係・学校・仕事からは一旦物理的な距離を置いた上で

異国の地で一人、新しいことに挑戦するためにあるのが留学だ。

「留学中は日本の友達と遊べなくて寂しい」と言う人は多いが、

それは裏を返せば

「留学中は新しい出会いを強制的に探すことになる」

「これまでのように毎日ダラダラと群れなくてもいい」

ということになる。

時間が生まれ、新しいことをやるやる気も生まれ、チャンスも増える。

そういった環境に飛び出すのが海外留学なのだ。

その上で、「そうはいっても現地での生活は怖い」ということで

日本人が一定数以上いる大学にほぼ必ずあるのが「日本人会」である。

「現地のスーパーはここがいいよ」

「ちょっと集まってたまには日本語で話そう」

「週末にボランティアがあるから一緒に行こう」

…等々、様々な情報を得る・共有することができる。

だが私は特にミシシッピに渡って以降

(ちなみになんとミシシッピにも「日本人会」は存在するらしい)

「日本人会」と名のついたものには断じて関わらないようにしてきた。

なぜならラクにショートカットしまっては何も学べないと思ったからだ。

確かに、既に住んでいる日本人に「スーパーはここがいいよ」と教えてもらえるのはラクだ。

現地で色々模索しなくてもいい。

だが私は、この「模索」という作業が一番楽しくてかつ実りあるものだと考えている。

前情報なしで、自分の足で色々スーパーを巡ってみる。

そこでは「〜らしい」ではなく、「〜だった」という無数の情報が獲得できる。

ついでに自らの目で、「こういうスーパーは当たり」と見分けられる目がつく。

人に教えてもらうとこれができない。

教えてもらったスーパーにしか行かなくなる。

「〜らしい」と言うことはできても、「〜だった」と言うことができない。

自分で判断しているわけではないから、自力でスーパーの見分けがつかない。

こういう話は次のチャプター「Jobhunting」でも触れるが、

普段から自分でやるか・または他人を頼るかというのは全て態度に露呈する。

面接官からしてみれば、前者の学生は

「何かあったらまず自分で努力することができるな」と評価するし、

後者の学生は

「何かあったらまずは逃げようとするな」と評価する。

なにも私のように日本人会を100%断絶しろと言っているのではない。

(私の場合は単に日本人がいなかっただけなのだが)

頼りすぎると依存心が上がって行動力が下がる、と言いたいのだ。

依存心が高くて行動力が低い人というのは組織にとってただのお荷物だから、

こういう人は就活でバッサリ落とされるようになる。

こういう人は何かあったらすぐに他人の力に頼るようになるから、

他人の力に頼れなくなった瞬間にご臨終である。

留学生採用のキーワードの一つに「バイタリティ(vitality)」がある。

活き活きとした力・エネルギッシュ・力強さという意味で使われる。

日本人会に依存して日本人会ありきで留学するというのは、バイタリティとは真逆の行為である。

たまに就活で

「現地の日本人会ではリーダー役を務めていました」

とドヤ顔で話す留学生がいるが、

その人はそれが完全にマイナス計算されることに気が付いていない。

日本からわざわざ飛び出して一人になったのに

外国でも尚心地の良い日本人同士でぬるま湯のように群れるのは、もうやめにしよう。

現地に数十年暮らすのならともかくたかが4〜5年なのだから、

この短期間だけ頑張ろうと思えばいくらでも頑張れるはずだ。

 

…筆者、透佳(スミカ)

『孤独の留学』特設ページ(目次)はこちらから

コメント

タイトルとURLをコピーしました