留学先の授業の醍醐味といえば、やはりディスカッション(議論)である。
私は逆に日本の大学に詳しくないのだが、アメリカの大学の場合だと
基礎クラス(100番台)は講堂など大規模な場所で百人以上の生徒を集めてやることが多いから
いちいち生徒同士で議論している暇はあまりないが、
これが200番台以降(標準レベル)になると一気にクラスの生徒数が減る。
200番台以降を履修するということは、その科目がmajorであるか
少なくともminor、ないしconcentrationである場合が大半だ。
(大学にもよるが私の母校の場合は「major=concentration」ではなく、
「〇〇学部〇〇科〇〇専攻」の学部がmajorで専攻がconcentrationという定義だった。
ちなみにminorは「majorほどではないけどもう一つ別に頑張っている分野」という意味)
ということは必然的にその分野に絞って・好き好んで履修する生徒がほとんどだから、
全員履修が義務となる基礎クラスと比べるとその人数は一気に少なくなる。
私の母校は在籍生徒数が1万数千は居るからそこまで小規模ではないはずだが、
200番台以降のクラスになるとどんなに多くても30人、
少ないと10人を割るようなクラスもあったぐらいだ。
そうなると必然的に生徒同士のディスカッションに割ける時間が増えるから
その分実際にディスカッションをしやすくなるということだ。
海外留学の集大成はある意味ここである。
自分が学んでいる分野について、現地の学生と直接やりあうことなのだ。
学んでいる分野への理解はもちろんのこと、
これまで築き上げてきた英語力が全て試されるといっていい。
これができれば、「海外から来たお客さん」ではなく
「現地で普通に学んでいる人」の仲間入りをすることができる。
この議論だが、コツは一つである。
逃げないことだ。
言い換えれば、いざという時に隣を見ないことだ。
隣に知り合いや友達がいると、どうしても頼りたくなる。
「〇〇についてどう思う?」
「日本人としてはこれはどうなの?」
などと突然話を振られようものなら、
心臓バクバクでつい助けを求めたくなってしまう。
その気持ちは痛いほどよく分かる。
だがここで真に海外留学を味わいたければ、
「他の誰でもない、自分の意見を言う」ことから逃げてはいけない。
内容は正直二の次だ。
内容は議論の中でいくらでも洗練させることができるし、
多少ズレていようが「ユニークだね」「面白いね」で済むからだ。
自分の口からちゃんと言う、という事実が大切なのだ。
なぜここまで強調しているかといえば、
それだけ日本人は自己表現が苦手だからである。
より厳密に言えば、自己表現が苦手なのではなく
常に他人事だからまさか自分が話を振られるとは夢にも思っていないのだ。
そこで「はい、そこのあなた!」と言われてしどろもどろしてしまう。
これだけは断言してもいいが、アメリカの授業を「他人事モード」で乗り切るのは無理だ。
むしろ「留学生だから」「アメリカ人にはない視点がある」ということで
積極的に指名されてしまうまである。
だがここで隣を見てしまうと、あなたは成長の機会をみすみす逃してしまう。
友達がいたらその人にさっさと話を振られてしまうし、
それでもダメだったらさっさと他のクラスメイトに振られてしまうからだ。
いつまでもオドオドしている生徒を待ってはくれない。
だったら最初から堂々と独りで参加するべきである。
頼れる人やモノがいない方が、人は素早く考えて行動できるようになる。
…筆者、透佳(スミカ)
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