追い込まれて伸びるタイプか、萎えるタイプかを見極める。

圧縮 - 3 lines

例えば、子供に「次のテストで○点以上取らなかったらスマホ解約」と言ったとする。

「それはまずい」と燃えて勉強できるタイプか、「それはまずい」と隠蔽工作やカンニングに走るタイプのどちらかなのはきっちり見極めてあげるべきだ(この2タイプに優劣や善悪はない)。

ムチで叩かれても嫌な思いをするだけの子に鞭打つのは、ただの虐待である。

【追伸】
「飴と鞭」という言葉が簡単に使われるが、

私は飴と鞭は人間には扱えない代物だと思っている。

より厳密に言えば、

飴と鞭というのは二つとも外的要因(自分以外の要素)だ。

勉強のモチベーションが全て、自分が全く制御できない要素である

という状態が、

「勉強は継続してナンボ」という前提の上にたつと極めて不安定なのだ。

たとえ逆境に燃えることができるタイプの子であろうと、

鞭を持ち出すのは生涯に一度きりの最終手段にするべきだ。

鞭を持ち出すということは、

「従わなかった場合は本当に叩く」

という恐怖を子供に植え付けた上で

いざ約束が反故にされた場合は躊躇なく本当に叩くということだ。

こうやって文字に起こすと分かりやすいが、

鞭というのは虐待一歩手前である。

もしくはそのラインを完全に超えている。

これが家庭教育として常態化するのは非常にまずい。

親が子供に向かって

「命令に従わない人はこうやって従わせればいい」

という教育を施せば、

その子供は将来親として全く同じことをやらかすからだ。

そんなに将来の話でなくとも、

「気に入らないことがあったら制裁を下せばいい」

という考えが植え付けられた子供はもうまともな人間関係は築けない。

飴と鞭、とは簡単にいうが

それを実際の教育に落とし込むのは極めて難しい話なのだ。

私が塾講師をやってきて現実を見つめてきた限りでは、

親の鞭に対して素直に従う子というのは、そもそも「普通」の親子ではない。

「親に逆らったら本当に何をされるか分からない」

と顔を青ざめながら勉強に励む子のどこが健全なのだろうか。

それは教育ではなく恐怖政治・王様と奴隷である。

(それこそがしつけだ、という価値観の人もこの世にはいるが)

飴と鞭なしで勉強に取り組んでもらえれば一番いい、ではなく

飴と鞭というのは最初から手段として検討してはいけない。

この世に「やらなければならない勉強」など一つもないのだから。

「やったほうがいい勉強」ならたくさんあるから、

そこに向けてどう誘導するか知恵を絞るのが本当の教育である。

【追伸の追伸】
鞭で叩いても効果がない子には本当に効果がない。

それどころか全てが逆効果になる。

それを分かった上なのか見て見ぬふりなのか知らないが

馬鹿の一つ覚えのように鞭叩き一辺倒の親がたまにいるから、手に負えない。

 

…筆者、透佳(スミカ)

コメント

タイトルとURLをコピーしました