成績を伸ばすために塾に通うのが当たり前であって、「塾に来たから偉い」と言ってくれるのはその子の親だけである。
より本音を申し上げると、塾に通って成績が伸びない子よりも塾に通わずに成績が伸びる子の方が100倍偉い(努力<結果)。
ここを抑えずに「ちゃんと通い続けている俺すごい」とかやり始めるともうその塾では一生伸びない。
【追伸】
これは「皆勤賞」なんてものを設置している塾側にも責任がある。
皆勤賞というものがあると、
学力は置いといて、毎回出席する子はそれだけで偉い
という歪んだ価値観が生じてしまう。
だが、ここではっきりさせておきたい。
毎回出席すること「それ自体」に価値はない。
塾を通じて「どれくらい成績が伸びたか」または「どれくらい学習習慣が身に付いたか」、それが全てである。
以上、議論の余地なし。
「塾に通ってさえくれれば成績なんか…」
と本音で思う親御さんなどこの世に一人もいない。
「せっかく塾に通うのだから成績を…」
と思うのが当たり前だ。
いや、ここは塾講師としてより本音を書かなければならない。
とある親御さんが子供を塾に入れる時にこっそりつぶやいたのは、
「『頑張った』とかどうでもいいので、内申点や点数がほしいんです」
だった。
極めて素直でよろしいと思う。
あまりにも露骨に成果第一主義を掲げてしまうと
カンニングや不正行為に走る子供が急増するから
そこはうまいさじ加減・コントロールが不可欠だが、
かといって努力第一主義に走るのも違う。
「頑張れば伸びますよ」なんて甘いことを言うつもりはない。
「やるべきことをやって、その結果成績が伸びるから偉いんですよ」
というのが私の方針だ。
単語然り、
文法然り、
「やるべきことをちゃんとやること」が努力であり
それすらもやっていないのは努力ではない。
(「正しい努力」「間違った努力」という言葉が好きな人はそれでもいい)
正しい努力を積み重ねれば、必ず結果が出るのが学校のテストであり高校受験だ。
「正しい努力を積み重ねても成果が出ない」というのは
それはつまり努力ではなく才能を測っているということであり、
義務教育でそんなことをするわけがない。
(才能を測るのは義務教育が終わってからの話である…大学受験など)
「頑張った」とか「努力した」みたいな抽象的な言葉じゃなくて、
「〇〇を〇〇ページやった」という具体的な努力を積み重ねろ
というのが、成績アップの唯一の道にして王道である。
デキる人はいつだって具体的だ。
…筆者、透佳(スミカ)
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