この連載で私が一番伝えたいことが、この事実です。
この世のあらゆる勉強は強制ではありません。
やりたい人だけがやりたいことをやりたいだけ勉強すればいいのです。
「でも、義務教育って強制じゃないんですか」
という声が聞こえてきそうです。
社会で日本国憲法の勉強をしたことがある人は覚えているかもしれませんが、
「国民の三大義務」の一つに教育の義務があります。
ですがこれは、教育を「受ける」義務であるとは一言も書いていません。
「受けさせる」義務なのです。
子供が勉強したい!と言っているのに
それを無視して実家の畑仕事を一日中やらせたりしてはいけませんよ、という意味であって
勉強したくない子を引きずってまで学校に通わせろとは言っていません。
親にとっては「義務」ですが、子にとっては「権利」です。
親が子に義務教育を受けさせるのは義務であり絶対ですが、
子供がそれを実際に受けるかどうかは自分で決めることができます。
そこまで憲法は強制していないからです。
なぜ最初に勉強をすることは権利であり自由だ、という話をしたかと言えば
実はこれが最短で最高の結果を出すために最も不可欠な要素だからです。
「この勉強は強制だ」「やらされている」とあなたが思う限り、
その勉強は決して最短にも最高にもなりません。
率直に申し上げて、頭を使っていないからです。
努力する量を減らすことは工夫次第で十分可能です。
ですが、頭を一切使わずに最短にして最高の結果を出すのは無理です。
断言します。
なぜ「やらされている勉強」ではなく、「自ら考える」ことをしなくてはいけないのか。
それはあなたが自分にピッタリあった勉強法・勝ち方を身につけるためです。
私は塾講師として、これまで数々の生徒を指導してきました。
その経験から間違いなく言えるのは、
Aさんにとって正しい勉強法がBさんにはまるで合わないどころかむしろ逆効果であることが少なくない
ということです。
「絶対に誰にでもできる魔法」がないのです。
英単語の勉強で例えましょう。
Aさんは赤セルシートを使うとよく覚えられるとしても、
Bさんは赤セルシートを使っても全く意味がなく
手を動かして書いて覚えないと定着しない。
そして逆にAさんは、手を動かす勉強になると途端に集中力が途切れてしまう。
こういうことがザラに起こるのです。
つまり、あなたにとって最短で最高の結果を出すためには
他の誰かの正解ではなく、あなたにとっての正解を見つけ出す必要があります。
ですがそれは勉強を「やらされている」限り一生見つかりません。
あなたに与えられる答えは「他の誰かにとっての答え」であり、あなたにも合うとは限らないからです。
動機はなんでもいいですから、
「自分は自分の意思でこの勉強をやっている」
「自分で答えを見つけ出してやる」という意識を持って勉強してみてください。
今後一生ラクをするために、今ちょっとだけ苦労しておきましょう。
…筆者、透佳(スミカ)
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