Essayの初歩は、ロジカルシンキング。

「日本の治安は良い!」→「なぜ?どうして?証拠は?」→「こうこうこうだから、やっぱり治安は良い!」

この考え方を地で行くのがアメリカで言うところのEssayの初歩である。

日本人が揃いも揃って苦手な理由は諸説あるが、一つあるのは論理なんて必要ないから。

【追伸】
日本だとプライベートであまりこれをやらかすと某匿名掲示板開設者みたいになって嫌われるんだけど、

ビジネスではこういう考え方ができる人は大歓迎である。

むしろそういう考え方ができる人しかビジネスはできない。

「なんかこっちの方が良いと思ったから」で会社のお金を動かされたらたまらないからね。

さてEssayの話だった。

日本は伝統的・文化的に論理がそれほど重視されなかった国だとされる。

東洋哲学は頭で理解しても意味がない(=感じなければ理解したとは言わない)し、

上の立場の人間に絶対服従なのがかねてより伝統だったからだ。

上の人が「こうだ!」と言ったのに対して

ロジカルに「いいえ違います!なぜならこうだからです!」

などとやろうものだったら即打ち首だった。

それはあくまでも昔々の話でしょ、と笑っている場合ではない。

上様にペコペコして「仰せのままに」とやっていた戦国時代と

上司にペコペコして「仰せのままに」とやっている現代とでは何が違うのか、

という考え方もあっていい。

そうこうあって日本人が概して論理が苦手だ。

「イヤダカライヤダ」が論理だからである。

人に説明する際には論破しようとするよりも感情で叩いた方が手っ取り早い。

比べようがないからだ。

それに対して批判されたらさらに感情の上塗りをすればいい。

無理矢理オチに繋げると、そんなノリで英語のEssayを書いている子は少なくない。

「野球は面白いスポーツです」→「なぜ?」→「え、だって野球って面白いスポーツでしょ」

絶対の答えがもう予め決まってしまっている「上様」の思考法である。

 

…筆者、透佳(スミカ)

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