先生が今日の内容を黒板に書く。
それを生徒が一生懸命ノートに写す。
いわゆる「板書写し」と呼ばれる、日本の学校のみならず学習塾でもお馴染みの光景だ。
だが私は塾講師として自ら教えていた頃から、この「板書授業」だけは絶対にしないようにしてきた。
学習効果がないからである。
「学習効果」の定義は多々あるだろうが、
学習塾としての第一は成績を上げることだ。
つまり解けなかった問題を解けるようにすることこそが塾の存在意義だ。
この視点から見ると、板書写しの効果は極めて薄い。
一切頭を使わなくてもできる、極めて受け身の作業だからだ。
書いてあることを書いてある通りに書く。
言われたことを言われた通りに書く。
「ここは赤ペンで」と言われた通りに赤ペンを使う。
ここに生徒の思考は一切存在しない。
生徒が何も考えなくてもできるのが板書写しという作業なのだ。
だが、実際の問題や試験・テストはどうだろうか。
「何も考えずに得点が取れる問題」というものはほぼ存在しない。
「ここはこうだから、これとあれをこの語順で書けばいいな」
「これはこうだから、これとそれをあの公式に入れればいいな」
「これはこういうことだから、つまりこれは〇〇だな」
…といった形で、
「問題を解く」という行為には何かしら自分の頭で情報処理をする必要がある。
この「頭を使う」という作業は本番でいきなりやろうと思っても無理だ。
普段から練習をしておく必要がある。
私に言わせれば、
この「頭を使う練習」をすることができるのが学習塾の存在意義である。
より平たく言えば、
「こういう問題があって、こうすれば解けるんですよ」
というのを教えてもらった上で
では生徒が実際に解く・それを見てもらえるのが学習塾なのだ。
(念のため、「こうすれば解ける」という説明で終わるのは学習塾ではなく予備校と呼ばれる)
であれば、板書写しなんて時間を食うことをするぐらいなら
その範囲をまとめた綺麗なノートをさっさと生徒に渡した上で
生徒は問題を解くこと・解き方を習得することに専念するべきである。
これが私が「板書不要」を唱える理由だ。
「でもそんなことをしたら生徒から不満が出るのでは?」
という声が聞こえてきそうだ。
以下、実際に私の授業を受けていた生徒が告白してくれたことだ。
「学校でやらされていること(板書写し)を、どうしてお金を払ってまで塾でもやらされなければならないのか意味が分からない」
「塾の授業は普通夜だから、板書写しをするとどんどん疲れて眠くなってしまう」
「ノートをとっても忘れちゃうけど、実際に問題を解くところまでやると覚えられる」
いわば板書写しというのはインプット(情報を取り入れること)だ。
あらゆる学習において言えることだが、インプットだけでは絶対に習得できない。
大谷翔平選手のビデオを見ただけでホームランは打てるようにはならない。
実際にやってみる・練習してみた上での試行錯誤が欠かせない。
つまりアウトプット(学んだこと実際に使ってみること)も同じく不可欠だ。
インプットだけで終わってしまうのは、
「勉強した」という気分は味わうことができるが
一週間たったらもう全て抜け落ちているのがオチである。
優秀な塾はこの辺りも完璧に理解しているから、
丁寧な説明(インプット)を重視するのはもちろんのこと
実際に解かせる・定着させること(アウトプット)も絶対に忘れない。
換言すれば、塾選びの際に
「ノートを取ることこそ学習の本質」
「板書写しかくあるべし」のようなことをやっている塾は避けるべきだ。
…筆者、透佳(スミカ)
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