先程の項目でも触れたが、
一つの塾に所属する全生徒が
きっちり均等に・平等に扱われているわけではない。
どうしてもそこは人間である。
一生懸命な生徒はより応援したくなるし、
態度の悪い生徒に対してはやる気が萎えてしまう。
「教える」という行為に対して情熱を持っているのが塾講師という職業の為、
そこに対して水を浴びせるような態度を取る生徒は
本能レベルで対応が悪くなってしまうものなのだ。
その内の最たるものが、宿題である。
これは塾講師の立場になって考えてみればすぐに分かる。
もしあなたが生徒を教える講師だとしたら、
以下2タイプのどちらの生徒を支えてあげたくなるだろうか。
- 宿題を頑張っているんだけど、もう一つ芽が出ない生徒
- 宿題を根本的に投げ出していて、やらないことに悪気がない生徒
「全ての生徒を平等に救うべき」というのは建前だ。
ぜひあなたも胸に手を当てて考えていただきたい。
あなたの本音を引き出すため、まずは私から告白するが
私は「もう一つ芽が出ない生徒」を教える際に最もやりがいを感じたし、
「悪気がない生徒」を教えるのには一切のやりがいを感じなかった。
概して、一生懸命だけどあと一歩という生徒は
何か初歩や基礎が抜けていたり
問題文で問われている大事なポイントを見逃していることが多い。
「ここにtheが抜けている」
「動詞の次だから目的語、つまり名詞」
「単語が一個足りないから、もう一つ何か足さないとね」
こういうのは塾講師のいわば十八番であり、
「自分の担当教科を教えて、それによって生徒が気付く・救われる」
という喜びを最大限に味わえる場面なのだ。
それに対して、そもそも宿題をやっていない生徒というのは
その9割が「本当は塾に来たくないけど来させられている」ということが
本人が露骨に態度に出すかどうかは別にして
講師の側にビンビン伝わってくる。
(ちなみに残り1割として、
「私は宿題をやらないことを選んだ」と堂々宣言する豪傑がいた)
実際に声に出すかは別としても
「一生懸命な子」が可哀想だから帰ってくれ、とつい言いたくなる。
だが経営上そうするわけにはいかない場合が多いから、
表面上は授業に参加させているフリをしているだけだ。
ここから言える事実として、
現在の学力は全く関係なく
(つまり全ての問題が解けなかった・分からなかったとしても)
この子は宿題を一生懸命やったな、という子は贔屓される。
適当にやったかまたはやっていないな、という子は軽蔑される。
当たり前だが学習塾は勉強をしに来る場所であり、
勉強をする子が正義でありしない子が悪なのだ。
ここまで直球で言葉にする講師がいるかどうかは別として、
本音の部分では教える側は全員こう思っている。
だからこそ宿題は絶対にサボってはいけない。
学習効果がなくなり、その上軽蔑の対象になるのだから。
…筆者、透佳(スミカ)
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