現在含め、これまで歴代の「私が好きになった人」を全て思い浮かべて時系列順に並べてみた。
もれなく全員に、私がとてつもない迷惑をかけていた。
高校生の頃に至っては、当時好きだった人に恋の病を心配されすぎてその本人にカウンセラー兼看護師をやってもらっているようなわけの分からない状態だった。
【追伸】
「最近、胸が痛くて…」
と、片想いをしているその本人に相談して
かつその人は自分が片想いされていることに完全に気がついているのだ。
これでは完全に意味が分からない。
恋愛沙汰の次元ではない。
完全に患者と看護師の関係になってしまっている。
もはや憐れみの目を向けられているのだ。
(見捨てなかったのはその人が優しすぎるからだね)
大学生・社会人になっても大体これと同じことをやってきた。
しかもそれが相手にとって迷惑だと気付いていないというではないか。
これでは不幸になって当然である。
この私の気質は今も尚残っているらしい。
どうも、
ひよわな自分の様子を見せれば誰か他人が構ってくれるものだと心の奥底で思い込んでいる節がある。
(こう書いている私は全力で否定するが、あくまでも客観的に見るとそうらしい)
なんかカタカナの名前で病名ついてたな、
と必死に記憶を辿ってみたらこれだった。
ミュンヒハウゼン症候群というらしい。
恐らくこの記事が上がる頃にはその名前は忘れているだろう。
こういう固有名詞を覚える頭は私には用意されていない。
物覚えの話ではなく気質の話だった。
自分が与えたことに対して、あまりにも多くの見返りを望みすぎて
かつそれが当たり前だと思っていたこと。
そこで見返りがなければどんな「演技」でもしたこと。
これが幾年か経って分かる「原因」の一つなのではないかと思う。
子育て論でこんな話を聞いたことがあるが、
子供が感謝する分以上のものを与えて育てるとその子は将来犯罪者になる。
沢山もらっても感謝できないから周りの人には嫌われ、
沢山もらえないとその分鬱憤・ストレスになってしまうからだ。
四面楚歌になって、最終的には世の中に向けて復讐することになる。
世の中は全て、
自分が与えた以上のものは絶対に返ってこないようになっている。
もし自分が与えた以上のものを無理矢理ゲットすると、
長い目で見ると後から必ず取り立てに遭うようになっている。
まるで自己啓発書みたいな締めになってしまったが、まあ良しとしよう。
【追伸の追伸】
I hope you all are doing well enough; you deserve it.
筆者、透佳(スミカ)
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