あなたにとって、言葉に表せないくらい悲しい出来事があったとしよう。
それをただ「悲しいです」と感情的に・主観的に叫んでいるだけでは誰も興味を持たない。
あくまでも、「こうこうこうやって悲しいんです」と建設的に・客観的に話すことで初めて人に伝わり、人を変えることができるようになる。
【追伸】
台湾生まれ・日本育ちの小説家である温又柔(おん・ゆうじゅう)さんがとある本の中で語っていたエピソードが強烈すぎて忘れられない。
彼女が大学院生のとき、自らと同じ「日本育ちの台湾人」を主人公として
その疎外感を描いた小説をゼミの人たちに読んでもらった時のことだ。
彼女は「これで自分の大変さも認めてくれる」という期待のもとで書いたはずだ。
それを当時ゼミ担当だった司修さんがこうぶった斬った。
『こんな泣き言を書いて、僕たちに同情されたいの?』
司修さんはこう続けた。
『辛かった、苦しかった、とわめいてばかりでは伝わらないんだよ。
小説が本当に書きたければ、
自分の悲しみや怒りをそのままぶつけるのではなく、
そういうものを抱えた自分自身としっかり向き合って、きちんと距離をとらなくては』
【追伸の追伸】
率直に申し上げて、悲しいことを全く経験していない人なんてこの世にいない。
そして人は自分が一番かわいい生き物だから、
「私の方が悲しい」「どちらの方が悲しい」戦争をするのは無意味だ。
誰もが「お前なんかより、私の方が一億倍悲しい」と思っている。
それをうまく人に伝えられるか、伝えられないかの違いがあるだけ。
そして、その違いは「他人事として見れるかどうか」の差である。
…筆者、透佳(スミカ)
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