まず、学歴を真っ向から否定する人を信用してはいけません。
学歴は大事です。
「学歴なんて関係ない!」と言っている人は、以下3パターンのいずれかです。
- と言いつつ自分はちゃっかり高学歴の人
- と言って、自分が学歴を獲得できなかったコンプレックスを晴らそうとする人
- 真正のバカ
一つ目の人は、いかにも低学歴の味方をしているように見えて
自分は高学歴ということはやはり学歴は大事なのです。
口ではいくらでもウソがつけても、自分の行動ではウソがつけないのです。
二つ目の人は、特に中卒・高卒に多いです。
「すっぱい葡萄」と同じで、本当は学歴は大事であることを頭では理解しています。
だけどそんな現実を心では分かりたくないから、必死に抵抗しているのです。
そして最後に、本当に何も知らずに「学歴は関係ない」と言う人は本物のバカです。
そんなことを本心で言えるのは山にこもって一人で生活している人ぐらいです。
「学歴がその人の社会的地位を決める大きな要因の一つである」
ということぐらい、一般常識として知っておく必要があります。
「でも、それにしたってなんで学歴がそんなに大事なんですか?」
たまにこう聞かれることがあるので、一回ここで丁寧に答えておきましょう。
まず前提として、人は平等ではありません。
完璧なピラミッド型です。
もしこの世が完全な平等だとしたら、
大富豪とあなたの年間所得が違うのは不平等です。
家の大きさが違うのも不平等です。
イケメンか美人のハイスペック配偶者がいて、あなたは非モテなのも不平等です。
ここで本当に平等というのなら
資産・所得は全国民に均等に一銭の差別もなく配るべきです。
全員同じ間取りの家に住むべきです。
全員国が計画して、望み通りの人と結婚させるべきです。
かつてこれに極めて近いことを実現させようとしたのが、共産主義です。
ですが現代においては、
「共産主義は人間に扱えるようなシロモノではない」という結論が出ています。
人間はそこまで理性的・理想的な動物ではなかったからです。
「オレの方が結果を出しているのに、アイツと分け前が同じなのはおかしい」
というのが人間の本能なのです。
そうである以上、平等というのは人間には無理です。
何かしらの基準を用いて、
その人ごとに違い・ランクをつける必要があります(いわゆる社会的地位)。
現代では、その基準のメインとして学歴が機能しています。
なぜならそれくらいでしか、「公平に」「全員を」測れないからです。
もしこれが「今持っている資産」だったら、大変です。
お金持ちの家は永代お金持ちで、貧乏の家は永代貧乏になってしまいます。
確かに昔にはそんな時代もありましたが、
今は「それはまずいよね」ということになっています。
もしこれが「ゲームの強い順」だとしても、大変です。
ゲームに興味のある人が有利になって、興味のない人は不利になってしまいます。
そのゲームを知らない人は最初から門前払いになってしまうのは、すこぶる不平等です。
もしこれが「100m走の結果」だったら、もっと大変です。
スポーツはその人の才能がモロに露呈されてしまうので、
生まれつき授かった人と授からなかった人とで地位がその後一生固定されてしまいます。
これではあんまりです。
では、「学歴」はどうでしょうか。
確かに生まれ育った家庭環境も多少の影響がありますが、決定打にはなりません。
生まれ持った才能も多少の影響がありますが、決定打にはなりません。
決定打になるのは結果であり、そのための努力です。
結果を出すための努力の仕方は、この連載を通して伝えてきたつもりです。
学歴(=その人の努力と結果)で判断されるというのは、すこぶる公平なことなのです。
厳密に言えば、他のどんな基準よりも「相対的にマシ」なのが学歴なのです。
99%の人は学歴によって判断され、学歴によって区別されます。
残りの1%は、教科書に載るレベルの天才の話です。
エジソンは小学校中退なので学歴で言えばドベ中のドベですが、
だからといってエジソンを人類の最底辺だと考える人は皆無でしょう。
それはエジソンが人類に貢献する発明を数々生み出したからです。
そういった例外を除き、「とりあえず学歴で序列をつけましょう」というのが現代社会なのです。
…筆者、透佳(スミカ)
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