面白いことを言ったり生徒世代の流行に雑談として触れたりすることで人気取りに走ろうとする塾講師は少なくない。
だが「好かれる」は「舐められる」と紙一重であり、友達のような塾講師は一見良さそうだが実は極めて危険である。
友達のような講師はなあなあの関係・ネットリとした関係になり、言うべきことが言えなくなるから指導にならなくなる。
【追伸】
私の学生時代にこんな先生がいた。
その先生は理科の先生だったのだが、
授業時間50分中下手したら冒頭40分ぐらいが雑談で消える。
授業が終わり側になって
「あぁ、そういえば今日の内容やろうか」
とようやくチョークを手に取るのも珍しくなかった。
今から言うことは極めて罰当たりかつ原因他人論であることを承知の上で述べると、
私が理科という科目が嫌い&苦手になったのはこの先生のせいだと思っている。
確かに雑談しているその最中は心の底から楽しかったが、
その先生が教える理科の内容なんて一切頭に残らなかった。
「親しみのある先生の言うことなら勉強のことでも聞くし記憶にも残る」
というのは全て嘘だった。
親しみというのはあくまでも
「○○(教科)の先生」という意味での親しみであるべきであって、
勉強に関係ない部分でいくら親しみを持たれても全く意味がないのだ。
「ああ楽しかった、ところで何勉強したっけ」で本当に終わってしまう。
本当の親しみというのはあくまでもその教科ベースのものだ。
どうせ雑談をするのなら、その教科に関係のある雑談でなければならない。
これは私も塾講師として死守している。
そうでないと生徒にお金を払わせて好き勝手漫談しているのと変わらない。
…筆者、透佳(スミカ)
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