「塾の先生が独自で勝手に作る『自作プリント』ってタブーじゃないですか?」
賛否両論あるだろうし一歩間違えると教科書の大幅劣化になりかねない方式だが、それでも尚実施する先生・講師が多いのはなぜか。
「この教科書使うぐらいならプリント作るわ」と思わせてしまう程度の教科書を採用しているのがまずい。
【追伸】
「この方が分かりやすくまとめられるから」
「時間節約になるから」
「改訂作業が即時でできるから」
…と、自作プリントを使うスタイルにも少なからずメリットはある。
かく言う私も自作プリントで授業を行うスタイルをとっている。
上記は確かにメリットではあるが、本質ではない。
本音の理由は、
どうせ「板書案」という名の自作プリントは全員作ってるんだから、それ配れよ
というものだ。
まず、自作プリントなどけしからん!という講師は数多いが
そういう人に限って「独自の板書案」を抱えていることが多い。
(板書案:「黒板に何をどう板書するか」をメモしたカンペのこと)
私に言わせれば、
その「板書案」を作って板書するのと、「プリント」を作って配布する人に大きな違いはない。
この時点で「自作プリントのクオリティーよりも板書の方が質が高い!」という理論は崩壊する。
形式が異なるというだけで全員独自で作っているからだ。
だから私はその講師の授業の質や分かりやすさを批評するならともかく、
「プリント授業」という形式を非難する人の意味が分からない。
ついで「それ配れよ」の部分だが、
私はそもそも板書は時間の無駄だと思っている。
授業開始の時点で、講師の手元には完璧な「板書案」があるわけだ。
だったらそれコピーして全員に配れよ、そうすればお前いらねえだろ?
今回正直に告白するが、私は小学生の頃からおぼろげながらこう感じていた。
「話が面白い」「プラスアルファのポイントを話してくれる」のならともかく、
本当にその手元のメモを板書して授業時間を潰すのは意味が分からなかった。
否、今でも分からない。
こういう話をするとすぐに
「手を動かすことで覚えられるんです!」
と言ってくる人が登場するが、
だったらとっとと浮いた時間で演習問題を解いた方が良いではないか。
「書き写しで頭に刷り込まれる」などとチンタラやっているよりも余程合理的だ。
そして最後に、「教科書があるのになぜプリントを?」という意見についてだ。
率直に申し上げて、プリントを作るのはそれはそれで大変な作業だ。
一枚のプリントを作るのに数時間要することもザラにある。
できればあまりしたくない。
だが、そうしないと分からないほど使っている教科書が分かりづらいのだ。
先生・講師は当然、自分の担当教科の採用教科書・テキストには一通り目を通す。
その上で、
「え、これは分かりづらい言い方だな…」
と感じるものが多い人がプリント派になる。
一応講師である自分ですら分かりづらく感じるのだから、
それを伝えられる生徒はその10倍増しで「分からない」と感じる。
そして、概してそういう人には「どの教科書を採用するかの決定権」などない。
こうして今日もプリント派は消えてなくならないというわけだ。
【追伸の追伸】
一言でまとめると、
教科書が最強に分かりやすかったらプリントなんていらないんだよね。
そうじゃないからプリントを作っている。
プリントを根本から否定する人というのは、
私に言わせてしまえば自分のやり方以外は認めない性格の人というだけだ。
私に「テキストよりも良い方法があるならさっさと本でも出してベストセラーにでもすればいい」
とルサンチマン剥き出しで歯向かってきたあの講師、元気かな。
…筆者、透佳(スミカ)
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