『メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した』
かの有名な『走れメロス』の書き出しです。
海外留学では、論文・エッセイを始めあらゆる状況でライティングが求められます。
そんなライティングで、最も難しいのは書き出しと言っても過言ではありません。
書き出し以外、つまり文章の中核部分や結論部分には全て「こういったものをこういったルールでこういった順番で書けば良い」という明確なルールが存在します。
ですが書き出しには、「絶対にこれを書く」というルールが全くありません。
「これを書いてはいけない」という制限も特にありません。
極めて自由度が高いのです。
そのため、特に日本人留学生は書き出し・導入部で大苦戦します。
「イントロは時間がかかるから、中身から書く」という同級生もかなりの人数いました。
私は以前、日本人留学生相手のライティング添削のチューターとして勤めていました。
中核部分もそうですが、それ並かそれ以上に導入で苦戦している人が多かったのです。
よりストレートに言えば、導入部が退屈すぎるのです。
- 「このペーパーは〇〇についてです」
- 「私は〇〇が好きです」
- 「私は〇〇だと思っています」
…等々、思わず「小学生か!」と言ってしまいそうな導入をしてしまう留学生が後を絶ちませんでした。
そんな人には初歩として、一文目を質問文にすると話の展開がしやすくなるというアドバイスを送ってきました。
「私は〇〇が好きです」と書くよりも、「あなたは〇〇を知っていますか?」と語りかけた方が読み手の興味をそそります。
そこから、「〇〇とはこういうもので、今回こういう話を…」と話を持ってくることができます。
ですが、それはあくまでも初歩です。
基本技術として身に付けてほしいのが、外部文献の引用から始めるということです。
一番有名なのは、福沢諭吉『学問のすすめ』でしょう。
冒頭の『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず…』というアメリカ独立宣言からの引用がやたら有名になってしまいました。
その本の趣旨はそういうことではなくあくまでも建前である…という書評は割愛します。
要は、自分の力では書けそうにない・ないし自分では書かないタイプの文章を冒頭に持ってくると文全体にスパイスが加わるのです。
「お?」と読み手の興味をそそります。
もう一つ、手前味噌ですが私の学士論文の冒頭を紹介します。
“A language has traditionally become an international language for one chief reason: the power of its people – especially their political and military power. The explanation is the same throughout history” (Crystal, 2003, p.9). The statement might be hard to accept for people around the world, but it is the reality. Greek used to dominate the world. Spanish or Portuguese used to dominate the world. And in even past, Latin used to dominate the world. Or hieroglyphs or sphenogram? However, they are all used to be.
『伝統的に、言語を国際言語たらしめる主な理由は一つである。それは人々の力、特に政治力と軍事力である。それは長い歴史の中で変わらない』この考えは受け入れがたい部分もあるが、極めて真実である。かつて、世界を支配していたのはギリシャ語だった。スペイン語やポルトガル語もそうだった。より遡れば、ラテン語。またはヒエログラフや楔形文字?まあ、いずれも過去の話だが。
(”EBL: English as a Bilingual Language, the Most Effective and Efficient Way to Study English”冒頭より)
導入に関しては特に、正しさよりも面白さ優先です。
正しさを証明するのは後からいくらでもできます。
ですが、読み手に「この文章は面白いですよ」とアピールできるのは今しかありません。
そのために、このような狂言回しめいた書き方をしています。
あとはもう一つ、これはビジネス書などでよく用いられる方法ですが
その文章で一番伝えたいことを最初にドカン!と持ってくるのも一つです。
これは極論であればあるほど効きます。
「野菜なんて体に悪い。信じられるのは肉だけだ」
なんて書き出しの文章があったら、合っているかいないかは別にして強烈に読みたくなります。
このように、導入部には書き手の出汁の一滴をこめます。
たまに誤解している人がいるので強調しておくと、
導入部は断じて「面倒な書き出し」ではありません。
そんなテンションで書かれた導入は、誰も読みたくないのです。
…筆者、透佳(スミカ)
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